てんちあん (くぼやまえんがくじ)|臨済宗円覚寺派
天池庵(久保山 円覚寺)のお参りの記録一覧
京急線南太田駅、或いは黄金町駅から急な坂を上ると迎えてくれる。それが、横浜市にある円覚寺だ。
明治の開港と共に人口が増えてきた横浜。
そこで鎌倉にある円覚寺がこちらに出張所として明治18年に建てられたのが始まりだとか。
さてさて・・・
円覚寺の境内には、伏見稲荷というお社がある。
確か、明治時代に、明治政府は「神仏分離」を打ち出したはずだ。
ということで、私は、この寺院は江戸時代以前のものだろうと思っていた。
今回、対応してくださったのは、実家が栃木県の臨済宗の寺院だという若い修行僧であった。まだまだ実家の僧侶(父親)が元気であるため、横浜にて修行中と。
猫の本名も教えてくれたり、横浜円覚寺の歴史も教えてくれ、感謝。
確かに!明治政府は「神仏分離」令を出した。
寺の力が強くならないように、かもしれない。
かつての比叡山延暦寺では、僧たちが武装して「僧兵」とまで呼ばれるほどの武力を身につけていた。平安時代、鎌倉時代の天皇、上皇でさえ手に負えないほどであったのだ。
そう考えると、織田信長の比叡山焼き討ち事件も権力者になりたいならば。。。などと考えていくと、違った見方が出来る。
明治政府に従い、「神仏分離」した所もあるが、やはり「神仏習合」のまま!それを貫いた所も多かったようだ。
何故なら、檀家、氏子と呼ばれる、近所の民がそれを求めたから。
私は、そんな話を聴きながら、本来、寺社仏閣とは、有名どころを求めるのではなく、近所の氏子、檀家となっている小さい寺社仏閣を大切にお詣りするものではないか、と思うのだった。
この交差点が山の頂上になります。
え?と思うような急坂で。電動自転車でもキツイくらいです。
遊びに来る猫が、車を無視して走ります。
門を入った入口にいる猫。修行僧の方に聞いたら、近所の猫が遊びに来ているらしいのだ。
勝手に、「円覚寺のほんこんさん」と呼んでいる。
南太田駅に向かい、キツイ坂を下りた下の家の猫らしく。
「ほんこんさん」と勝手に呼んでいたのだが、「まるちゃん」だったらしい。
だが、しかあし!!
明日からも「ほんこんさん」と呼ぶであろう。
市営バス「久保山霊堂前」バス停下車すぐ。臨済宗寺院。ご本尊は宝冠釈迦如来です。
円覚寺の横浜別院。明治18年に当時の管長が塔頭寺院の天池庵の名を以て建立すべきの指示があり、明治20年に開山遠忌650年の記念事業として建立されたとされます。
市内有数の久保山墓地に多くの寺院が集まる場所の一つ。
高台にあるだけに、はるかランドマークタワーも望むことができました。
交差点際に建つ山門。
前回訪れた時は柵がしていましたが、この日は通り抜けできました。
山門の屋根。表側は唐獅子。
裏側は牡丹です。
広い境内の真ん中に構える鐘楼です。
伏見稲荷のお堂。
明治時代の「神仏分離」の流れを思えば、こちらは「神仏習合」を貫いた型に。
本堂です。
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