杉山神社が文献にあらわれるのは約千年前、平安の時代にさかのぼります。
『続日本後期』には、貞和五年(838年)二月二十二日の条に、杉山神社に霊験(ご利益)があるとして、朝廷からお供え物である幣帛が奉られたことや、嘉祥元年(848年)五月二十二日に杉山神社の大神が神階(神に冠せられた位)従五位下を授けられたことが記されています。
『延喜式』九巻・十巻には、朝廷より幣帛を奉る神社2861社(鎮座神332座)が記載されていますが、これら『延喜式』に記載のある神社は「式内社」と呼ばれ、現在においても格式の高いお社であることの証とされています。武蔵国四十四座のお社のなかに都筑郡に杉山神社の名が見えます。
江戸時代に書かれた『武蔵国風土記』には、当時の武蔵国に杉山神を奉斎するお社が七十二社あったことが記されています。杉山神社と称されるお社が複数あるなかで、式内社に該当するお社がどれなのかについては今日明らかにされていません。
私どもが奉祀しております星川杉山神社は、東に横浜の港と、はるかに千葉県上総の山々、西には霊峰富士の山を望む高台に鎮座しています。
『武蔵国風土記』をうけて編纂された『新編武蔵風土記稿』には、橘樹郡神奈川領の下星川村に鎮座する杉山神社に関して「村の中央にあり、神社の境内の小山には松や杉の古い木が多く茂り、山を登ったところにある…云々」といった記述が見られます。さらに当時の地誌として民衆に親しまれた『江戸名所図会』には「新町より八町あまりの北の方、下星川村にある。延喜式内社の神社にして霊験がある…云々」とも記されており、これら江戸時代の書物から式内社である杉山神社が当社を指しているのではと推測できる記述があることが分かります。
なお、平成十六年には当社の裏手より、縄文時代から弥生時代にかけてのものと思われる遺跡も発見されました。
これらのことから、当社の周辺には太古の昔から集落が営まれており、この地に鎮座する杉山神社が、長い時代に渡って人々から霊験あらたかなお社として崇敬されてきたことがうかがえます。 |