当山は、上大岡駅や別所インターからほど近い、横浜市港南区大久保にある高野山真言宗の寺院です。
旧武蔵国久良岐郡久保村、最戸村、別所村の各笠原家、旧相模国鎌倉郡永谷村の大津家、若林家、笠原家、及びそのご分家を中心とした檀家様方々の菩提寺として、長く護持されて参りました。
当山の詳しい創建の年代は明らかではありませんが、今からおよそ900年前、善住上人という僧侶が相模と武蔵の国境にあたるこの地で地蔵菩薩像を刻み、小さなお堂を建立して安置したのが始まりと言われております。
その後、平安時代の末期に京都御室の仁和寺から院号「自性院(じしょういん)」を賜りました。
やがて、久保村の「久保」をとって久保山自性院地蔵寺というのが正式の名前になりました(資料によっては、久保山地蔵寺自性院と表記する場合もございます)。
江戸時代には青木神社の別当もしていました。
寛永12年5月1日(1635年6月15日)に御遷化された15世住職長信法印が中興と言われており、現住職が39世です。
本尊は木彫りのお地蔵様です。この地蔵菩薩様は、どんなに苦しい時も明るい心で頑張りなさいと、特に子ども達を温かく見守ってくれる優しい仏様です。
この寺は何度も火災に遭い、本堂などの建物や古記録等は焼失してしまいましたが、鎌倉時代と室町時代の板碑が残っています。
また正徳元年(1711年)に作られた半鐘が珍しいもので、これは明治の初め廃仏毀釈のときに廃寺になった鎌倉の松源寺(源頼朝が建立)に元はあったものです。
他にも寛文9年(1669年)の庚申塔、寛政4年(1792年)の道標など貴重な史跡があります。
なお境内には万治3年5月15日(1660年6月22日)に建立され近郷の村人達から篤く信仰されてきた「勘九郎地蔵尊」が安置されています。病気平癒・商売繁盛・イボとりなどの御利益があると言われております。
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