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こばけん
2022年09月29日(木)
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 22.09.26。東急東横線「大倉山駅」より徒歩10分。横浜市港北区師岡町の住宅街に鎮座。
《横浜北部の守リ神》

御祭神 伊邪那美尊(いざなみのみこと)
    事解之男命(ことさかのおのみこと)
    速玉之男命(はやたまのおのみこと)

創建年 神亀元年(724年)

社格等 旧郷社

例祭日 8月24日

【沿革】〜Wikipediaより〜
 神亀元年、僧•全寿が空から降って来た熊野権現の神札を当地の梛の大木の裏に納め祀ったと伝えられる。仁和元年(885年)7月に光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が下向し「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜って以来、宇多天皇、醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。

 明治元年(1868年)神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに二分され明治3年県社に列格したが、氏子の陳情があって明治6年33ヶ村の郷社に列した。

 当神社は社紋が三つ足鳥で熊野三山において信仰された八咫烏に由来する。三つ足鳥は日本サッカー協会のシンボルマークである為、サッカー神社と呼ばれるようで、協会公認の御守も頒布されている。

師岡熊野神社の御朱印師岡熊野神社(神奈川県)

神社方向への道路入り口に

師岡熊野神社(神奈川県)

社頭の「い」の池

師岡熊野神社(神奈川県)師岡熊野神社(神奈川県)

弁財天社

師岡熊野神社の鳥居

《社号標》と《鳥居》

師岡熊野神社(神奈川県)

勅額
「関東随一大霊験所熊埜宮」

師岡熊野神社(神奈川県)

狛犬(阿形)

師岡熊野神社(神奈川県)

狛犬(吽形)

師岡熊野神社(神奈川県)

鳥居右手の《稲荷社》

師岡熊野神社(神奈川県)

参道の階段

師岡熊野神社(神奈川県)

手水舎

師岡熊野神社(神奈川県)師岡熊野神社(神奈川県)

拝殿

師岡熊野神社(神奈川県)師岡熊野神社(神奈川県)師岡熊野神社(神奈川県)師岡熊野神社(神奈川県)

左手に本殿

師岡熊野神社の建物その他

令和神苑

師岡熊野神社(神奈川県)

庚申塔•馬頭観音等

師岡熊野神社(神奈川県)

神明社

師岡熊野神社(神奈川県)

「の」の池

師岡熊野神社(神奈川県)師岡熊野神社の末社

末社群
天満社•社御神•白山社•山王社

師岡熊野神社(神奈川県)

末社群
稲荷大神•道祖神•浅間大神•水神宮

師岡熊野神社(神奈川県)

さざれ石

師岡熊野神社の自然

イヌシデ

師岡熊野神社(神奈川県)

社紋

師岡熊野神社(神奈川県)

社務所
こちらて書き置きの御朱印を拝受。

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歴史

この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ、熊野山の中腹に鎮座し、和歌山県熊野三社(本宮・那智・速玉)の祭神と御一体である。
 仁和元年七月には、光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わり、それ以来、宇多・醍醐・朱雀・村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は天暦三年より実に1060回余にもなる。
 観応二年六月十七日、雷火のため社殿は消失したが、御神体・社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝えている。
 例えば、勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)、参向儀式の行われた式坂、更に「い」の池(指定地域史跡)、「の」の池、「ち」の池の故事等、枚挙にいとまがない。
 室町期に北条早雲公、慶長四年徳川家康公、寛永十九年家光公、寛文五5年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め、代々の将軍家の崇敬極めて篤く、神社への御朱印は幕末まで続けられた。
 明治元年神仏分離の際、熊野神社と隣接の法華寺とに二分され、明治三年には県社に列格したが、氏子の陳情する所あって明治六年三十三ヶ村の郷社に列した。
 その後、各所の整備造営工事を行ってきたが、平成十七年「平成の大修造」と称し、覆殿・翼殿をはじめとする壮大な造営事業を実施、更に平成二十六年「平成の大修造第二期」に着手し、手水舎新築、境内社整備参集殿改修等の事業を完遂し、面目を一新した。
 当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。

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師岡熊野神社の基本情報

住所神奈川県横浜市港北区師岡町1137
行き方

東急東横線「大倉山駅」より徒歩12分。

アクセスを詳しく見る
名称師岡熊野神社
読み方もろおかくまのじんじゃ
通称おくまんさま
参拝にかかる時間

約20分

御朱印あり

限定御朱印なし
ホームページhttp://www.kumanojinja.or.jp/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》伊邪那美命,事解之男命,速玉之男命,《配》伊邪那岐命,天照皇大神,須佐之男命,熊野夫須美命,加具土命,水波能売命,埴山比売命,稚産霊神,天之鈿女命,事代主之命,天忍穂耳命,瓊瓊杵命,木花開耶姫命,彦火火出見命,鵜葺草葺不合命
創建時代神亀元年(724)
ご由緒

この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ、熊野山の中腹に鎮座し、和歌山県熊野三社(本宮・那智・速玉)の祭神と御一体である。
 仁和元年七月には、光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わり、それ以来、宇多・醍醐・朱雀・村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は天暦三年より実に1060回余にもなる。
 観応二年六月十七日、雷火のため社殿は消失したが、御神体・社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝えている。
 例えば、勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)、参向儀式の行われた式坂、更に「い」の池(指定地域史跡)、「の」の池、「ち」の池の故事等、枚挙にいとまがない。
 室町期に北条早雲公、慶長四年徳川家康公、寛永十九年家光公、寛文五5年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め、代々の将軍家の崇敬極めて篤く、神社への御朱印は幕末まで続けられた。
 明治元年神仏分離の際、熊野神社と隣接の法華寺とに二分され、明治三年には県社に列格したが、氏子の陳情する所あって明治六年三十三ヶ村の郷社に列した。
 その後、各所の整備造営工事を行ってきたが、平成十七年「平成の大修造」と称し、覆殿・翼殿をはじめとする壮大な造営事業を実施、更に平成二十六年「平成の大修造第二期」に着手し、手水舎新築、境内社整備参集殿改修等の事業を完遂し、面目を一新した。
 当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。

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