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東漸寺ではいただけません
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東漸寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年04月07日(日)
参拝:2024年3月吉日
東急花御朱印巡りの1つだ。駅からはバスで行く。どうなることやらと思ったが、バス停のすぐ上で助かった。
東漸寺は奈良時代の天平13年(741年)、東大寺の大仏建立に尽力された行基が関東に布教に訪れた際、この場所に草庵を結び、文殊菩薩(文殊堂本尊)を謹刻し奉安されたことが開基とされます。 東海道の脇道、中原街道に接していることから近郷近在の人々の信仰を集め、江戸時代前期には頻繁に仏像の修復開眼が行われ、時の名僧「淨厳和尚」を招いて仏さまと縁を結ぶ「結縁灌頂」を厳修しています。江戸幕府から朱印地五石を賜り、杉山神社(東漸寺鎮守社)や山王社、稲荷社の別当職を兼ね、当時の領主であった竹尾公の墓所もあり隆盛を極めていました。 現本堂は、昭和40年代に建立された伝統的な木造建築で、向拝の彫刻は目を見張るものがあります。現在のご本尊は出世不動尊として信仰され、行基作の文殊菩薩は、智慧の文殊として学業成就や受験祈願の方などがお参りされます。(寺院墓地説明より)
杉山神社は、歩いて5分ほどの場所にある無量寺の隣なのだが、東漸寺が別当を勤めていたのか。
明治維新後には、一度廃れたらしいが、戦後に復興し、伽藍も整備されたらしい。文殊菩薩も御大師様も素晴らしい。
花を待つ 文殊菩薩に 大師像
東漸寺は奈良時代の天平13年(741年)、東大寺の大仏建立に尽力された行基が関東に布教に訪れた際、この場所に草庵を結び、文殊菩薩(文殊堂本尊)を謹刻し奉安されたことが開基とされます。 東海道の脇道、中原街道に接していることから近郷近在の人々の信仰を集め、江戸時代前期には頻繁に仏像の修復開眼が行われ、時の名僧「淨厳和尚」を招いて仏さまと縁を結ぶ「結縁灌頂」を厳修しています。江戸幕府から朱印地五石を賜り、杉山神社(東漸寺鎮守社)や山王社、稲荷社の別当職を兼ね、当時の領主であった竹尾公の墓所もあり隆盛を極めていました。 現本堂は、昭和40年代に建立された伝統的な木造建築で、向拝の彫刻は目を見張るものがあります。現在のご本尊は出世不動尊として信仰され、行基作の文殊菩薩は、智慧の文殊として学業成就や受験祈願の方などがお参りされます。(寺院墓地説明より)
杉山神社は、歩いて5分ほどの場所にある無量寺の隣なのだが、東漸寺が別当を勤めていたのか。
明治維新後には、一度廃れたらしいが、戦後に復興し、伽藍も整備されたらしい。文殊菩薩も御大師様も素晴らしい。
花を待つ 文殊菩薩に 大師像
すてき
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