そうじじ
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楽しみ方総持寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月14日(日) 14時32分03秒
参拝:2021年2月吉日
總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗の大本山。福井県の永平寺と並ぶ曹洞宗の中心寺院。山号は諸獄山(しょがくさん)。本尊は釈迦如来。1911年に石川県鳳至郡門前町から現在地に移転したもので、50万㎡(東京ドーム10個分)の広大な敷地をもつ。
總持寺の前身は、能登国櫛比庄(現・石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸獄観音堂」。鎌倉時代末期の1321年曹洞宗4世の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が入院し「諸獄山總持寺」と改称、翌年、後醍醐天皇の支持を受け官寺、大本山となった。江戸初期の1615年徳川幕府が発出した法度により、永平寺と並んで大本山となった。
当寺は、JR京浜東北線・鶴見駅の西口すぐの場所にあるが、敷地が広大なため三門まで10分ほどかかる。
参拝時は週末の午後で、1都3県の緊急事態宣言により、伽藍の主要な建築物の参観が停止されているため、参拝者は少なかった。自分も地図を見ながら参拝可能エリア限定で、建物だけ見て廻った感じ。メインの境内は進入不可、有名な<大祖堂>も見れず、御朱印ももらえず、再訪確定。(涙)
※南側の<三宝殿>、<大梵鐘>、<穴熊稲荷>のエリアは参拝可能だったようだが、ショックのあまり小山を登る気力が出ずパス。再訪時に参拝。
總持寺の前身は、能登国櫛比庄(現・石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸獄観音堂」。鎌倉時代末期の1321年曹洞宗4世の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が入院し「諸獄山總持寺」と改称、翌年、後醍醐天皇の支持を受け官寺、大本山となった。江戸初期の1615年徳川幕府が発出した法度により、永平寺と並んで大本山となった。
当寺は、JR京浜東北線・鶴見駅の西口すぐの場所にあるが、敷地が広大なため三門まで10分ほどかかる。
参拝時は週末の午後で、1都3県の緊急事態宣言により、伽藍の主要な建築物の参観が停止されているため、参拝者は少なかった。自分も地図を見ながら参拝可能エリア限定で、建物だけ見て廻った感じ。メインの境内は進入不可、有名な<大祖堂>も見れず、御朱印ももらえず、再訪確定。(涙)
※南側の<三宝殿>、<大梵鐘>、<穴熊稲荷>のエリアは参拝可能だったようだが、ショックのあまり小山を登る気力が出ずパス。再訪時に参拝。

JR高架そばにある参道入口。

緩やかな上り坂を登ると<三松関>。

三松関の手前左手にある<放光地蔵>。

三松関をくぐり、さらに参道を登っていくと巨大な<三門>。下から見上げるので壮観。

<三門>をくぐって裏から。非常に美しい形。

三門の隣、右手に向かって緩やかな坂を上ると<三松閣>。行事が行われる建物らしい。

境内中央に立つ大木。<三門>と<三松閣>の位置関係はこんな感じ。

大木の北側に立つ銅像。後ろは見どころの一つ<向唐門>。現在絶賛工事中...(涙)

<三松閣>の北側にある<香積台>。総受付。

<香積台>の裏手(東側)にある<天真閣>(手前左)と<慈峰閣>(右奥)。

メイン境内への入口の一つ、東側にある<金鶏門>。

メイン境内への入口の一つ、西側にある<玉兎門>。中央には<中雀門>がある。3つの門はすべて動物に因んだネーミング。

<玉兎門>近くにある<宝蔵館・嫡々庵>。「施設点検のため当面の間休館」とのこと...(涙)

境内中央の大木の南側、駐車場近くにある<南無地蔵菩薩>の幟が立つエリア。

同エリアに建つ<梅壽庵>。

同エリアに立つ地蔵菩薩。

小高い場所に立つ<桜木観音>。
すてき
投稿者のプロフィール

惣一郎1269投稿
2020年1月から寺社仏閣巡りを始めた初心者です。東京在住です。 クルマとバイク、旅行が趣味なので、近くから遠くまで、精力的にお参りしています~♪ ■2023年も引き続き、日本各地(目標:寺社...もっと読む
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