いせやまこうたいじんぐう
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伊勢山皇大神宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月01日(水)
参拝:2021年11月吉日
21.11.23。先の萬徳寺より徒歩2分。横浜市西区宮崎町に鎮座。
《横浜総鎮守》
《関東のお伊勢さま》
御祭神
本 殿 天照大御神
杵築宮 豊受姫大神
大神神社 大物主神
当宮の創建は、横浜が日本一の貿易港として、また文明開化の先駆けの地として、急速な発展を遂げていた明治3年(1870年)です。
当時の県知事が「急速な近代化・西洋化の流れの中でも、横浜の人々が日本の国柄を見失わない為に、人々の心の拠り所、また横浜の象徴となるものとして、国家を鎮護する天照皇大神を祀る荘厳な神殿を築くと告諭し、戸部の地にあった伊勢の神宮より勧請されたと伝わる古社を再興し、港を一望する丘の上へと遷座しました。
〜当宮HPより抜粋〜
本日ラスト箇所。「ホトカミ横浜御朱印めぐり」その14。《関東のお伊勢さま》のキャッチフレーズ通り、伊勢神宮を彷彿とさせる凛とした空気感がありました。本日は新嘗祭の日の為、午前中には神事があったようで、境内にはテント張りが残っていたり、まだ七五三詣のご家族連れもあり、多くの人々で華やいだ雰囲気でした。
《横浜総鎮守》
《関東のお伊勢さま》
御祭神
本 殿 天照大御神
杵築宮 豊受姫大神
大神神社 大物主神
当宮の創建は、横浜が日本一の貿易港として、また文明開化の先駆けの地として、急速な発展を遂げていた明治3年(1870年)です。
当時の県知事が「急速な近代化・西洋化の流れの中でも、横浜の人々が日本の国柄を見失わない為に、人々の心の拠り所、また横浜の象徴となるものとして、国家を鎮護する天照皇大神を祀る荘厳な神殿を築くと告諭し、戸部の地にあった伊勢の神宮より勧請されたと伝わる古社を再興し、港を一望する丘の上へと遷座しました。
〜当宮HPより抜粋〜
本日ラスト箇所。「ホトカミ横浜御朱印めぐり」その14。《関東のお伊勢さま》のキャッチフレーズ通り、伊勢神宮を彷彿とさせる凛とした空気感がありました。本日は新嘗祭の日の為、午前中には神事があったようで、境内にはテント張りが残っていたり、まだ七五三詣のご家族連れもあり、多くの人々で華やいだ雰囲気でした。
社号標
表参道
一の鳥居
参道左側に《伊勢山碑》
「伊勢神宮別宮」の文字があります。
明治7年(1874年)建立で当宮の由緒が書かれています。
「伊勢神宮別宮」の文字があります。
明治7年(1874年)建立で当宮の由緒が書かれています。
万葉歌碑
ニの鳥居。
総檜造りです。
総檜造りです。
手水舎
常夜灯
照四海(しょうしかい)と呼ばれ、当宮のシンボルの一つ。
照四海(しょうしかい)と呼ばれ、当宮のシンボルの一つ。
大注連柱(おおしめばしら)。
明治22年(1889年)に当時の大遊郭・ニ葉楼から奉納。
明治22年(1889年)に当時の大遊郭・ニ葉楼から奉納。
拝殿
昭和3年(1928年)に本殿と共に再建されたものです。
昭和3年(1928年)に本殿と共に再建されたものです。
本殿
境内社 大神神社(おおみわじんじゃ)
境内社 杵築宮(きづきのみや)
祓所
太鼓楼
昭和3年(1928年)、昭和天皇の御即位を奉祝して建立。
昭和3年(1928年)、昭和天皇の御即位を奉祝して建立。
表忠碑。
日露戦争で戦没した横浜商業学校出身者の慰霊碑。題字は陸軍大将・乃木希典。
日露戦争で戦没した横浜商業学校出身者の慰霊碑。題字は陸軍大将・乃木希典。
裏手の北参道の鳥居
境内の《スダジイの木》
横浜市の名木・古木指定。
横浜市の名木・古木指定。
社務所
直書きの御朱印を拝受しました。
直書きの御朱印を拝受しました。
頂いたリーフレット
すてき
投稿者のプロフィール
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