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きたきたろう
2019年03月15日(金)
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大津→久里浜→浦賀→鴨居(観音崎)と来て横須賀中央から徒歩でお隣汐入駅側の諏訪大神社へ。
此方がこの日最後の神社になります。
汐入駅からの方が近いですが、歩けない距離ではないので、横須賀中央の商店街を歩いてスカジャンや海軍カレーのお店などを見ながら訪れるのが良いと思います。
諏訪大神社と書いて"すわ おおかみ しゃ"と読むそうです。
広さや規模では杉並の大宮八幡や所沢の鳩ヶ峯八幡とありますが、高さという点では群馬の上州一之宮八幡と此方でしょうね。
旅の終わりを素晴らしい諏訪神社で終える事が出来ました。

諏訪大神社の山門

横須賀中央駅前の大通りを北西へ進み、商店街が終わる大滝町の十字路を左に入り路地を進むと諏訪大神社のアーチがあります

諏訪大神社の周辺

アーチを潜るとなかなかの坂道…

諏訪大神社の建物その他

神社正面です。
階段を登ったところに鳥居…の奥にまた階段!

諏訪大神社の建物その他

神社と言うより城か砦かという構えです。

諏訪大神社の建物その他

社殿は意外とシンプルです

諏訪大神社の建物その他

下を振り返ると、なかなかの高さ。
あの鳥居の下に階段がありましたからね。

諏訪大神社の建物その他

御朱印は社殿の下、写真右手の瓦屋根のお宅でいただきました。

諏訪大神社の御朱印
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歴史

由緒記
社名 諏訪大神社、
鎮座地 横須賀市緑が丘三四番地、
祭神 健御名方命・事代主命他五柱、
創立 康暦二年(一三八〇年)三月二十三日、
創立者 三浦貞宗
沿革 康暦二年(一三八〇年)足利義満の頃、三浦貞宗が横須賀の鎮守として、長峯城の城口当る当地古谷山に、信州の上下両諏訪明神を勧請した。
三浦貞宗が中心になり城下の横須賀村の人々によって祭られていたが、三浦氏が滅亡後祭祀権は地頭郡代を先達として次第に村の民衆の手に移った。慶長八年(一六〇三年)、徳川家康に将軍宣下して慶長十一年(一六〇六年)、平和な世になったので、代官長谷川三郎兵衛の発起で村の人々により、社殿・境内の大改修を行い農漁の守護神として崇敬を受け(棟札文による)以来永く代官の三浦郡中鎮守の遥拝祈願所に指定された。(寛永八年・享和二年の版文による)その後、村の民衆もまた神社や境内を整備し祭祀を怠らなかった。(歴代の棟札文による)明治以来も崇敬者は変らず、その結果明治六年(一八七三年)十二月、明治政府より村社に列格され、明治四十年(一九〇七年)四月三十日、幣帛供進指定社となった。
続いて昭和三年(一九二八年)五月二十一日、郷社に昇格した。更に昭和十七年(一九四二年)、内務省神祇院十七総第二号通牒を以って、県社昇格の内許をうけ氏子で指定改築工事中に終戦となった。
戦後宗教法人のもとで、当時昭和二十二年(一九四七年)五月十六日、氏子会が発足し、民主的に神社を氏子の手によって維持し今日に至っている。
ご祭神 健御名方命 健御名方命は、山神で狩猟と経済によって山を生活の場とした部族の祖神であったが、後にこの部族の経済的発展に伴って農耕の神ともされた。
元来、山神で狩猟において射的の上手な部族の神だったので、後に武士からも崇敬された。もと出雲の国から周防(山口県)に行き、伊勢から美濃を経て信濃に入り、蝦夷の牙城をおとして諏訪の神となった。上諏訪から勧請し、ご神体矢に神霊を祀ってある。
事代主命 事代主命は、北九州博多から出発し丹波・丹後地方を勢力範囲とした漁猟部族の蜑族(たんぞく)の祖神である航海と漁猟を得意とした部族なので、自然と貿易によって富裕となった。この祖神事代主命はえびす様とも云って漁業や商業の守護神として祀られるのはそのためである。
蜑族は、富山から姫川を逆上って上高地の下の旧湖水で生活していたが、後にサイ川をさき切ってここを干潟して農地としたので農業神としても崇敬された。ここから諏訪湖に移って水上生活をした部族である。
事代主命は、下諏訪から勧請して、ご神体玉に神霊を祀ってある。
健御名方命は、大国主命のみ子で、事代主命はおん兄神さまに当る。そして、日本先住民族蝦夷を征服して、出雲という部族連合国家を建設し、日本古代国家の基礎を築いた方である。
以上

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諏訪大神社の基本情報

住所神奈川県横須賀市緑ケ丘34
行き方
アクセスを詳しく見る
名称諏訪大神社
読み方すわだいじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》健御名方命,事代主命
創建時代1380年(康暦2年)
創始者三浦貞宗
ご由緒

由緒記
社名 諏訪大神社、
鎮座地 横須賀市緑が丘三四番地、
祭神 健御名方命・事代主命他五柱、
創立 康暦二年(一三八〇年)三月二十三日、
創立者 三浦貞宗
沿革 康暦二年(一三八〇年)足利義満の頃、三浦貞宗が横須賀の鎮守として、長峯城の城口当る当地古谷山に、信州の上下両諏訪明神を勧請した。
三浦貞宗が中心になり城下の横須賀村の人々によって祭られていたが、三浦氏が滅亡後祭祀権は地頭郡代を先達として次第に村の民衆の手に移った。慶長八年(一六〇三年)、徳川家康に将軍宣下して慶長十一年(一六〇六年)、平和な世になったので、代官長谷川三郎兵衛の発起で村の人々により、社殿・境内の大改修を行い農漁の守護神として崇敬を受け(棟札文による)以来永く代官の三浦郡中鎮守の遥拝祈願所に指定された。(寛永八年・享和二年の版文による)その後、村の民衆もまた神社や境内を整備し祭祀を怠らなかった。(歴代の棟札文による)明治以来も崇敬者は変らず、その結果明治六年(一八七三年)十二月、明治政府より村社に列格され、明治四十年(一九〇七年)四月三十日、幣帛供進指定社となった。
続いて昭和三年(一九二八年)五月二十一日、郷社に昇格した。更に昭和十七年(一九四二年)、内務省神祇院十七総第二号通牒を以って、県社昇格の内許をうけ氏子で指定改築工事中に終戦となった。
戦後宗教法人のもとで、当時昭和二十二年(一九四七年)五月十六日、氏子会が発足し、民主的に神社を氏子の手によって維持し今日に至っている。
ご祭神 健御名方命 健御名方命は、山神で狩猟と経済によって山を生活の場とした部族の祖神であったが、後にこの部族の経済的発展に伴って農耕の神ともされた。
元来、山神で狩猟において射的の上手な部族の神だったので、後に武士からも崇敬された。もと出雲の国から周防(山口県)に行き、伊勢から美濃を経て信濃に入り、蝦夷の牙城をおとして諏訪の神となった。上諏訪から勧請し、ご神体矢に神霊を祀ってある。
事代主命 事代主命は、北九州博多から出発し丹波・丹後地方を勢力範囲とした漁猟部族の蜑族(たんぞく)の祖神である航海と漁猟を得意とした部族なので、自然と貿易によって富裕となった。この祖神事代主命はえびす様とも云って漁業や商業の守護神として祀られるのはそのためである。
蜑族は、富山から姫川を逆上って上高地の下の旧湖水で生活していたが、後にサイ川をさき切ってここを干潟して農地としたので農業神としても崇敬された。ここから諏訪湖に移って水上生活をした部族である。
事代主命は、下諏訪から勧請して、ご神体玉に神霊を祀ってある。
健御名方命は、大国主命のみ子で、事代主命はおん兄神さまに当る。そして、日本先住民族蝦夷を征服して、出雲という部族連合国家を建設し、日本古代国家の基礎を築いた方である。
以上

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