くりはまやはたじんじゃ
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楽しみ方久里浜八幡神社のお参りの記録一覧

天神社から歩いて10分くらいの距離です。
境内社の海軍工作神社は、由緒を読んでいるうちに、何か複雑な感情になりました。
戦争に巻き揉まれてしまった悲しさ、哀れ、というような。
これを残そうとした方達の思いを想像してしまいますね。
豊川稲荷神社、伏見稲荷神社と稲荷が2つ有るのは、地域の方が望んだのか、それとも他に合った神社を移築したのか。
御朱印をいただく時に聞けば良かった。





左が海軍工作神社、右が伏見稲荷神社

の海軍工作神社

豊川稲荷神社

子供達が狙っているのでしょうか。

令和七年八月二十九日参拝。
京急夏詣キャンペーン2025、8社目。
創建、養老四年(720)。

社号標

鳥居

御由緒


拝殿

海軍工作神社

伏見稲荷社

豊川稲荷社

力石

京急夏詣2025^^ 二十ノ陣!! 久里浜八幡神社
ついにやってきました^^ この京急夏詣の大ラス^^ 関東エリアの二十社目^^!
(関西エリアにはさすがに行けんので 今回の京急夏は これで〆です^^)
まだまだ朝の準備中^^ そんな中 蝉の声響き渡る境内 のんびりお参りさせていただきました^^

ついに二十社目 ラストの地に^^

鳥居

参道

手水

本殿

狛犬

狛犬

絵馬


おみくじ場^^

塩分補給に^^


神社にはこ゚奴らは必需品^^

夏詣御朱印

夏詣御朱印クリア版


鳥居は一礼して^^

神奈川県横須賀市久里浜にある久里浜八幡神社に参拝⛩️京急夏詣御朱印を直接書込みでいただきました。境内社に海軍工作神社、豊川稲荷神社、伏見稲荷神社と稲荷神社が2つもある。

久里浜八幡神社〜京急夏詣御朱印

久里浜八幡神社〜社号碑と大鳥居

久里浜八幡神社〜拝殿①石段したからの拝殿

久里浜八幡神社〜拝殿②アップ

久里浜八幡神社〜境内社⛩️海軍工作神社

久里浜八幡神社〜境内社🦊豊川稲荷神社

久里浜八幡神社〜境内社🦊伏見稲荷神社

久里浜八幡神社〜絵馬

久里浜八幡神社〜狛犬①阿像

久里浜八幡神社〜狛犬②吽像

久里浜八幡神社〜花手水

【京急夏詣2025⑲<14社目>】
『7月は暑いけど夏詣に神社へGo!!(笑)』…という訳で、暑い中で外出する動機付けの意味も込め、京急夏詣2025に参戦してみました(^^)/…といっても投稿した時にはすでに8月(^^;
お題目の丸数字は京急夏詣でのリーフレットに記されている番号なので、ホトカミへの投稿は訪問した順番にて行なっています。
京急夏詣2025巡り、3日目の2社目、通算で14社目は、久里浜にご鎮座される八幡神社へ。
13社目の海南神社への参拝後、三崎港からバスに乗って京急の三崎マグロ駅(三崎口駅)へ戻り、電車で京急久里浜駅まで移動、駅からは歩いてだいたい7、8分程度で久里浜の八幡神社へ到着です。
訪問した日はちょうど例大祭(7月19日・20日)の翌日だったようで、後片付けをしている方々が結構いましたね。
八幡神社も、今回の夏詣での訪問前日がお祭りだったようで、境内には片づけをしている方々がちらほら…そんな中ではありますが、夏詣の参拝をして参りました。
境内はこじんまりとしておりますが、拝殿の左手に「豊川稲荷社」が、右手に「伏見稲荷社」が、それぞれご鎮座というダブル稲荷社体制が、少し変わっているなぁていう印象。
また、海軍工作学校が久里浜の地にあった事によって、海軍工作神社も境内に鎮座されていました。
夏詣の御朱印は、社務所にて、御朱印帳へのお書入れにて拝受いたしました。

鳥居

社号票

御由緒

手水舎

ちょっとした花手水になっていました。

拝殿

狛犬(阿形)

狛犬(吽形)

境内社・豊川稲荷社
拝殿左手に鎮座する、ダブル稲荷社のうちの1社。

境内社・伏見稲荷社
拝殿右手に鎮座する、ダブル稲荷社のうちのもう1社。

境内社・海軍工作神社
戦時中、この地に海軍工作学校が置かれていたことに由来するみたいです。

猿田彦大神の碑

力石

このような御朱印が頂けます。

書入れにて拝受した夏詣御朱印

京急夏詣オリジナルのはさみ紙(八幡神社)
何故に龍が?…と思ったのですが、社殿の天井に描かれている「龍図」に由来するみたいです。

【御朱印261】
御朱印巡り2025.06.21

御朱印は、500円を納めました

御朱印(月参り)は、500円を納めました







今日は久里浜八幡神社様へ。横浜横須賀道路の佐原インターで降りて、久里浜港フェリーターミナルに行く途中にあります。こちらは、応神天皇を御祭神としてお祀りしています。由緒によると、創建は養老4年(720年)に当時の武人達によって創建されたといわれています。
天正18年には豊臣秀吉が小田原攻めに際し、鶴岡八幡宮に戦勝祈願をし、三浦の北条氏を滅ぼした際には栗浜の八幡宮に米三石を寄進したと伝わっています。江戸時代に入ってからも徳川歴代将軍によって幕府の直轄地に定められ、米三石を寄進されました。明治時代に入ると、明治31年に「八幡宮」を御社名として賜ります。第二次大戦後も八幡神社と称して現在に至っています。また、境内社として海軍工作神社がありました。








久里浜八幡神社は、神奈川県横須賀市久里浜に鎮座する八幡さまです。最寄り駅は、京急久里浜線の京急久里浜駅、あるいはJR横須賀線の久里浜駅で、それぞれ徒歩5分と8分ほどの距離にあります。参道の途中には踏切がありますが、この踏切の遮断機が下りることは一日の中でもあまりありません。ただし、もし運悪く(あるいは運良く)遮断機が下りた場合には、列車の本数が多いため、10分以上足止めされることも珍しくありません。
神奈川県神社庁の公式サイトによると、この神社の正式名称は「八幡神社」で、ルビは「はちまんじんじゃ」と振られています。しかし、地元の方々の間では「やはたじんじゃ」や「やわたじんじゃ」とも呼ばれており、その呼び方には一定の揺れが見られます。全国に数多くある八幡神社と同様に、横須賀市内にも複数の八幡神社が存在するため、区別のために現在の地名である「久里浜」を冠して呼ばれることが一般的です。このように、地域に根ざした呼称が日常的に用いられていることからも、この神社が久里浜の人々にとって身近で親しみのある存在であることがうかがえます。
創建は8世紀にさかのぼるとされ、以来、久里浜の地に根を張り、地域の人々にとって心の拠り所として機能してきました。その長い歴史は、単に神社の由緒にとどまらず、久里浜の地名や文化にも色濃く影響を与えています。例えば、周辺の公園、集合住宅、踏切、さらにはバス停や町内会名などにも「八幡」の名称が見られ、神社が地域の象徴的存在であることが分かります。さらに、近隣の横須賀市立久里浜小学校では、明治6年(1873年)に当神社の社官が営んでいた寺子屋を引き継いだ年を創立年と定めています(同小学校「沿革」より)。これは、教育と信仰がかつて密接に結びついていた歴史的背景を物語っていると言えるでしょう。
参拝時はすでに日が落ちていたため、滞在時間は短く限られたものでしたが、それでも境内の印象は強く残りました。境内は比較的こぢんまりとしているものの、見どころには事欠きません。境内社の一つである海軍工作神社は、かつてこの地が軍事都市として機能していた歴史を伝える、今では貴重な痕跡の一つです。現在では、自衛隊駐屯地と並んで当時の名残をとどめている存在ともなっており、神社の静けさと軍都の記憶が交錯する不思議な空気を醸し出しています。また、拝殿には繊細な彫刻が施されており、内部には横須賀市指定の重要文化財である板墨画も所蔵されています。さらに境内からは、弥生時代の土器が出土しており、この地における遥か昔の人々の暮らしを思い描く機会ともなりました。短い滞在ながらも、時代を超えて続く信仰と地域の歴史の重なりを静かに感じさせてくれる、深みのある神社でした。
帰り道は踏切ストップにでくわしました。しばらく電車は動かないのでこうなったら久里浜駅と反対の踏切を通るのをお勧めします(八幡第二踏切)。こちらは遮断器が降りることはほぼあり100パーないので。



神奈川県のおすすめ3選❄️
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