御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
白髭神社ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

天狼星
2022年10月03日(月)
460投稿

富塚山(通称、おにぎり山)の麓にあります。
昔、浦賀入港の船が野比千駄ヶ崎でしばし、海難事故が起こっていたのを住民が憂い、富塚山に猿田彦神を勧請したのが最初で、寛永八年に麓に社壇を築きました。その後、社殿が倒壊した為、元禄四年に再建しました。

白髭神社の鳥居

一の鳥居(昭和七年六月建立)、野比海岸から、神社に向かう参道の途中にあります。

白髭神社の鳥居

扁額

白髭神社(神奈川県)

富塚山(神奈川県の天然記念物)。
南側斜面は社叢林

白髭神社(神奈川県)
白髭神社(神奈川県)

正面
社号標は平成三十一年二月建立、天皇在位三十年記念

白髭神社の鳥居

二の鳥居(平成四年一月建立)

白髭神社の建物その他

扁額

白髭神社(神奈川県)

御由緒書

白髭神社の本殿

拝殿

白髭神社の狛犬

狛犬(多分、阿形)安政三年二月建立

白髭神社の狛犬

狛犬(多分、吽型)改築時に建立

白髭神社(神奈川県)

境内脇のスロープ側にある狛犬

白髭神社の狛犬

平成十六年三月建立

白髭神社の末社

境内社ー稲荷社

白髭神社の狛犬

稲荷社、狛犬

白髭神社の狛犬
白髭神社の建物その他

境内すみにある案内。龍がみえる所?

白髭神社(神奈川県)

立ち位置に立って本殿を見ると、龍が見えます。

もっと読む
mitch
2020年06月17日(水)
2156投稿

20.06.04「白髭神社」参拝 _ 横須賀市野比

白髭神社の建物その他

01) 野比「白髭神社(しらひげじんじゃ)」 参道階段登り口を、向かって右斜め前方から。
.
立ち位置後方は(20台近く駐車できそうな)鎖で囲まれ、
催事用と思しき舗装された方形のスペース。
だから駐車場なしとするけれども、
立ち位置のカドは軽自動車2台分ほどで
乗用車ならば1台分ほどスペースの鎖が解かれているが常時も解かれているのかは不明。
.
---

白髭神社の鳥居

02-1) 野比「白髭神社」社頭、社号標。

白髭神社の鳥居

02-2) 参道階段と鳥居。

白髭神社の鳥居

02-3) 鳥居の扁額 ” 白髭神社 ”
.
----------------------

白髭神社の狛犬

03-1) 向かって左側の狛犬 

白髭神社の狛犬

03-2) 向かって右側の狛犬 
.
---

白髭神社の歴史

04-1) 由緒などが彫られた解説石板

白髭神社の歴史

04-2) 由緒などが彫られた解説石板

白髭神社の歴史

04-3) 由緒などが彫られた解説石板
.
---

白髭神社の手水

05) 手水舎
.
---

白髭神社の本殿

06-1) 野比「白髭神社」 社殿

白髭神社の本殿

06-2) 拝殿の扁額 ” 白髭神社 ” 
.
----------------------

白髭神社の鳥居

07-1) 境内の向かって左奥、 ’ 稲荷社 ’ 社頭の鳥居。左隣の台座の上には、錆びた錨。写真左端は(たぶん)神輿庫。

白髭神社の末社

07-2) ’ 稲荷社 ’ 拝殿
.
---

白髭神社のお祭り

08) (たぶん)神輿庫

もっと読む
投稿をもっと見る(3件)

例祭・神事

例大祭、七月十五日前後の日曜日。

例祭・神事をもっと見る|
1

歴史

往古、浦賀入港の船が野比千駄ヶ崎でしばしば遭難したので、これを憂えた住民が海上安全を祈って、とがさん(今の富塚山)山上に猿田彦神を勧請したと伝える。
寛永8(1631)年菱沼某が発起して同山南麓に社壇を築き、神威に応えたのが現在の社地である。
元禄4(1691)年菱沼茂行等が社殿を再建し、安政2(1855)年にも改築があった。明治6年村社に列し、同41年村内の稲荷社、天神社、諏訪社、貴船社、子神社、水神社、神明社を合祀した。
社殿裏の境内林富塚山は遠方からもよく目立つ小高い山であるが、広範な樹種が分布し植物学的にも貴重な宝庫として昭和51年神奈川県天然記念物に指定された。

歴史をもっと見る|
3

白髭神社の基本情報

住所神奈川県横須賀市野比2-26-1
行き方
アクセスを詳しく見る
名称白髭神社
読み方しらひげじんじゃ
トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神《主》猿田彦神
《合》瓊瓊杵尊・菅原道真・経津主神・罔象女神・豊斟渟尊・水速男命・豊受大神
創建時代寛永8年(1631)
本殿本殿ー神明造、幣殿ー切妻造、拝殿ー入母屋造
ご由緒

往古、浦賀入港の船が野比千駄ヶ崎でしばしば遭難したので、これを憂えた住民が海上安全を祈って、とがさん(今の富塚山)山上に猿田彦神を勧請したと伝える。
寛永8(1631)年菱沼某が発起して同山南麓に社壇を築き、神威に応えたのが現在の社地である。
元禄4(1691)年菱沼茂行等が社殿を再建し、安政2(1855)年にも改築があった。明治6年村社に列し、同41年村内の稲荷社、天神社、諏訪社、貴船社、子神社、水神社、神明社を合祀した。
社殿裏の境内林富塚山は遠方からもよく目立つ小高い山であるが、広範な樹種が分布し植物学的にも貴重な宝庫として昭和51年神奈川県天然記念物に指定された。

体験重要文化財伝説

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ