かもいはちまんじんじゃ
鴨居八幡神社のお参りの記録一覧
神社の目の前が鴨居海岸になっているので、鳥居越しの海の景色を楽しみに参拝しました。御朱印も丁寧に対応していただきとても素適な神社でした✨
横須賀市の神社の紹介文によると、
・古い時代鴨居の鎮守は素戔嗚尊を祭神とする須賀神社だった
・八幡神社は、三浦大介義明の四男、多々良四郎義春が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したことに始まり、観音崎の多々良浜の奥の谷戸に鎮座していた
・江戸時代に八幡神社が鎮守となり須賀神社は合祀された
・八幡神社境内から弥生時代の遺跡(貝塚)が発見された
とのことが書かれていました。
境内には鴨居の地名由来についての看板がありまして、由来は諸説あるようなのですが、私は鴨のつく地名と聞くと単純なので鴨氏が関係しているんじゃと思ってしまいまして、ちょっとだけ調べてみました。
まず気になったのが、近くの観音崎にある多々良浜です。由来の1つがこの付近で砂鉄を原料とした「たたら製鉄」が行われたからというものでした。
また、『論文「角」とよばれる釣針について〜三浦半島出土の資料を中心として/中村勉』から一部引用、抜粋すると、
八幡神社境内貝塚から「角釣針」が出土していて、それときわめて類似するものが和歌山県から多く出土している。
この釣針の出土と魚の分布が一致するものとして鰹に並ぶものがなかった。よって鰹漁に使われたと思われる。
紀伊半島から三浦半島にかけての太平洋沿岸地域には、漁業技術や精神文化を共有する1つの地域圏が存在していて、形成する主体的役割を担ったのは、紀伊半島の人々だったと思われる。黒潮の流れは鰹の道であり、人々が結び合う文化の道でもある。
とのことでした。
紀伊半島といえば葛城鴨氏!鰹を追いかけ黒潮に乗り流れてきてそのまま住み着き、土地の人々に製鉄技術などの文化を伝えたと考えることもできるんじゃないかなぁと思いました。
追記
紀伊半島といったら熊野大社もですよね。八咫烏=賀茂大神。先日とある神社の禰宜様から聞いた話だと、やはり黒潮に乗っての行来は昔からあるようです。
拝殿
大銀杏
天満社
稲荷神社
神輿庫
地名由来
御朱印を待っている間ふと授与品を見たら、秩父廣見寺でいただいた妙見様の勝守りと同じデザインの勝守りがあって一瞬"妙見様!?"ってなりました😅
そういえば三浦義明公の奥様は秩父重綱の娘だったような…
お昼時だったからか車の出入りがけっこう多かったです
貝殻集めしている親子がいて見ていてほっこりしました😊
海岸からの神社です
21.06.22。先の走水神社様から観音崎経由バスにて移動、「鴨居」下車、徒歩2分。横須賀市鴨居3丁目に鎮座。
御祭神:誉田別尊
治承4年(1180年)、源頼朝公鎌倉入りし、幕府の礎石を築くに当たり、三浦氏は軍功あった当三浦郡を領し一族門葉最も栄えた頃である。その頃、多々良四郎義春は鴨居郷の領主として武名も高く三浦家の柱石をなしていた。当社は義春が源家の命を受け養和元年(1181年)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。
〜当社HPより〜
当社は自分が氏子として生後半年後から25才迄暮らした、まさしく故郷の神社です。
今回数年振りの訪問でしたが、疫病禍で昨年に続き、夏祭り(7月末)は中止との事で残念❗️
大鳥居
昭和56年(1981)建立。
神社方向
社号標
御由緒
二の鳥居
天明元年(1781)建立。
補修されつつ現存されています。
ニの鳥居前から振り返り。
鴨居港が望めます。
狛犬。
天保10年(1839)に奉納。
手水舎。
地名の由来。
参道〜社殿。
昭和3年(1928)造営の木造社殿。
拝殿正面。
拝殿と本殿
境内社 天満社。
境内社 稲荷社。
神輿庫。
大銀杏。
推定樹齢400年。
社務所
こちらで直書きの御朱印を拝受しました。
2015年7月26日 夏祭り時 鴨居港に入ろうとする当社の宮神輿。→自分のホトカミプロフィール写真です。
乗るバスを間違えてしまい、迷子中に偶然出会った神社です。
これも素敵な巡り合わせですね。
女性の神主さんが書いて下さいました。
迷子中、、虹が出てました。
可愛いネコちゃんがお出迎え
神奈川県のおすすめ2選🎍
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