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さなだれいしゃ

佐奈田霊社の御由緒・歴史
神奈川県 早川駅

ご祭神佐奈田与一義忠
ご由緒

石橋山の合戦と佐奈田霊社

石橋山の合戦は、治承4年(1180)に以仁王の命令を受け挙兵した源頼朝が平家方の大庭景親、伊東祐親らと戦ったところ。
この時頼朝方の先鋒を任されたのが佐奈田与一義忠で、この時与一は15騎で俣野五郎75騎と戦い両者組討ちとなったが与一は俣野五郎を組み伏せた。これを与一は討とうとしたが、刃についた血が固まってしまい刀が鞘から抜けず、声を出せども痰がからみ声は出ず最期は駆けつけた平家方の長尾新五、新六の手により25で命を散らせた。

その後組討ちした地は「ねじり畑」と言われ、ここで育った作物はすべてねじれてしまうという伝説があります。戦場跡には「与一塚」が建てられ、佐奈田与一義忠を祭神とする佐奈田霊社が祀られました。与一の戦死の故事により、咳、喘息、喉に霊験があると言われ、佐奈田飴というのど飴が頒布されています。

歴史
歴史[編集] 与一塚 江戸消防の碑とそろばん塚 文三堂 1180年(治承4年)8月23日、石橋山の戦いで討死した頼朝方の先鋒の佐奈田与一義忠を祀っている。与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し声が出せず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという言い伝えから、咳・声・のどに霊験があるとされ、芸能関係者も数多く参詣する[1]。例祭は毎月23日。与一の命日である8月23日には大祭が行われる[2]。 与一が敵方の俣野景久を組み伏せた畑は「ねじり畑」として残り、作物が全てねじれてしまうという言い伝えがある[3]。この南方の丘の上には、与一の討死後8人を討ち取り散った家臣(与一の爺や...Wikipediaで続きを読む
引用元情報佐奈田霊社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BD%90%E5%A5%88%E7%94%B0%E9%9C%8A%E7%A4%BE&oldid=97878418

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