さなだれいしゃ
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石橋山の佐奈田霊社へ
今回は本堂の中に入れていただき、写真も撮らせていただきました。(霊社の方の許可を得ています)
頼朝直筆の書物や鎌倉時代に作られた仏像などもありました。
また、こちらは喉や声に霊験があるので佐奈田飴と御霊苻をいただきました。
与一塚
平安時代のお墓の形だそうで、今もこの塚の中に与一公は甲冑を着たまま埋葬されているそうです。
佐奈田霊社本堂
佐奈田霊社観音堂
観音堂内部
霊社扁額
魁秀明神の号を与えるという頼朝直筆の書状(写し)
佐奈田与一の墓石(当時のもの)
頼朝公も信仰していたという聖観世音菩薩
御本尊(御神体)
佐奈田与一義忠像
孔雀明王像
これは珍しいそうです。
上が佐奈田与一、下が俣野五郎で五郎を組み伏せて与一が刀を抜こうと必死になっている姿だそうです。
霊社内部
いただいたもの
歴史
石橋山の合戦と佐奈田霊社
石橋山の合戦は、治承4年(1180)に以仁王の命令を受け挙兵した源頼朝が平家方の大庭景親、伊東祐親らと戦ったところ。
この時頼朝方の先鋒を任されたのが佐奈田与一義忠で、この時与一は15騎で俣野五郎75騎と戦い両者組討ちとなったが与一は俣野五郎を組み伏せた。これを与一は討とうとしたが、刃についた血が固まってしまい刀が鞘から抜けず、声を出せども痰がからみ声は出ず最期は駆けつけた平家方の長尾新五、新六の手により25で命を散らせた。
その後組討ちした地は「ねじり畑」と言われ、ここで育った作物はすべてねじれてしまうという伝説があります。戦場跡には「与一塚」が建てられ、佐奈田与一義忠を祭神とする佐奈田霊社が祀られました。与一の戦死の故事により、咳、喘息、喉に霊験があると言われ、佐奈田飴というのど飴が頒布されています。
名称 | 佐奈田霊社 |
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読み方 | さなだれいしゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 佐奈田与一義忠 |
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ご由緒 | 石橋山の合戦と佐奈田霊社 石橋山の合戦は、治承4年(1180)に以仁王の命令を受け挙兵した源頼朝が平家方の大庭景親、伊東祐親らと戦ったところ。
その後組討ちした地は「ねじり畑」と言われ、ここで育った作物はすべてねじれてしまうという伝説があります。戦場跡には「与一塚」が建てられ、佐奈田与一義忠を祭神とする佐奈田霊社が祀られました。与一の戦死の故事により、咳、喘息、喉に霊験があると言われ、佐奈田飴というのど飴が頒布されています。 |
体験 | 御朱印お守り武将・サムライ有名人のお墓伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 佐奈田霊社(さなだれいしゃ)は、源頼朝旗揚げの地「石橋山古戦場(神奈川県小田原市石橋)」にある神仏習合の霊社である。 1180年より日本唯一の「のど・声、喘息、気管支炎 等」の祈願所(護摩の祈祷あり)とともに戦の先駆け=魁の神様(魁秀明神)を奉る。石王山宝寿寺が管理している。 |
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歴史 | 歴史[編集] 与一塚 江戸消防の碑とそろばん塚 文三堂 1180年(治承4年)8月23日、石橋山の戦いで討死した頼朝方の先鋒の佐奈田与一義忠を祀っている。与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し声が出せず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという言い伝えから、咳・声・のどに霊験があるとされ、芸能関係者も数多く参詣する[1]。例祭は毎月23日。与一の命日である8月23日には大祭が行われる[2]。 与一が敵方の俣野景久を組み伏せた畑は「ねじり畑」として残り、作物が全てねじれてしまうという言い伝えがある[3]。この南方の丘の上には、与一の討死後8人を討ち取り散った家臣(与一の爺や...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] JR東日本東海道本線早川駅より約2.5Km、同駅より箱根登山バス石橋停留所下車(平日のみ、休日運休)。 |
引用元情報 | 「佐奈田霊社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BD%90%E5%A5%88%E7%94%B0%E9%9C%8A%E7%A4%BE&oldid=97878418 |
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