すずかみょうじんしゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方鈴鹿明神社のお参りの記録一覧
絞り込み



鈴鹿明神社の例大祭に少しだけお邪魔してきました。仕事が残業になってしまい無理かなと思ってたけど、なんとか間に合いました💦
ちょうど御神輿が神社に戻ってきたタイミングで、祭りの熱気にテンションあがりました😊🎶
鈴鹿さんの例大祭は、昔は6月7日〜14日でしたが、明治9年(1867)に8月1日としたと皇国地誌に記載があります。現在は7月31日に宵宮祭、8月1日に例大祭となっていて、明治の頃より変わらず催行されています。8月1日は八朔といって、農家では田植えを終えて休業し神に稲の豊作を祈願する祭りの日なのだといいます。
また、鈴鹿明神の祭礼は明治初年まで『イガスリ祭』と呼ばれていました。このことから、大阪市の坐摩神社か、皇居に祀られる坐摩の神に関係のある者が鈴鹿明神社の前身を創始したとも考えられるそうです。
あるいは「鈴鹿」とは泉の多い土地に名付けられ、神社付近には泉や湧水が多くそれらは重要な水源でした。古代、泉は井戸であったことから、井戸の神、土地の守り神、即ち坐摩の神として鎮座の年代を伝えないくらい古くから祭祀があったのではとも考えられるそうです。
これは、鈴鹿明神社の祭礼がイガスリ祭と呼ばれていたことから、坐摩から座間になったという地名由来の「異説」なのですが、大変興味深い話だと思いました。
(参考)
座間むかしむかし合本集







5月の参拝です。
鈴鹿明神社所蔵の一番古い棟札が令和二年に市指定重要文化財になったことを最近知りました。
この棟札というのが『北条藤菊丸棟札』といい、この藤菊丸(ふじきくまる)とは八王子城主で知られる北条氏照の幼名だそうです。氏照は、小田原北条三代氏康の三男で、武蔵守護代の系譜をもつ大石氏の養子となりその支配地域を継承した人物です。
座間市教育委員会発行の『座間むかしむかし第四十四集』によれば、この棟札から、氏照が正式に大石氏の養子になる前に、大石領内座間郷の鈴鹿明神社再興事業に大檀那として寄与したことがわかり、氏照の大石家継承の時期とその背景を明確にする稀有な史料となるそうです。
また、藤菊丸の名が記された古文書は全国で2例しかなく、関東戦国史においても極めて貴重な史料と評価してよいそうです。
もっと読む
鈴鹿明神社は座間郷の総鎮守になります。
欽明天皇の御代、伊勢国鈴鹿明神の神輿が海上を渡御されていた折、にわかの嵐にあい流れ流れて、当時入海だった当地に漂着し里人が祀ったのが始まりといいます。
この漂着した神輿の中には、宝剣や宝玉その他いろいろな宝物が納めてありました。
そのころ、座間七ヶ村の1つ、勝坂というところに住んでいた「有鹿」という蛇身の神が、鈴鹿の宝玉を盗ろうと思い鈴鹿の森に絡まり機会を狙っていました。
鈴鹿の社内にいた諏訪明神と弁財天がこれを追い出し、南の谷の深(やのふけ)という所で、三神がそれぞれ大蛇の姿となって戦いました。有鹿神は敵わなくなり、相模川に逃げのび海老名に上がってそこに留まりました。村人は有鹿大明神として勧請し、海老名総鎮守としました。
これまで寒川神社に関連する寺社を巡ってきましたが、寒川神社を深堀りするうえで、有鹿神社は外せないと聞きました。あれ?じゃあその有鹿神社と関わっている鈴鹿さんも重要なんじゃ…と。
このお話は結構前から知っていたのですが、知識が増えた今、改めて見ると気になる所が多すぎます(いい意味で)
少しずつ紐解いて行けたらいいな…
(参考)
・座間古説
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ



























































