はなおじんじゃ
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皆さん、明けましておめでとうございます!
2024年はかなり出遅れましたが、今年最初の投稿になります。
今年の正月は鹿児島で迎えたため、初詣は花尾神社さんにお参りしてきました。
大きな神社ではありませんが、毎年三が日は多くの参拝者で賑わいます。
私も今回花尾神社さんへの初詣は3回目となるのですが、例年以上に多くの方がいらっしゃったように感じました。
薩摩藩の歴代藩主を務めてきた島津家。
その島津家の家祖である島津忠久が薩摩・日光・大隅三州の守護職に任命されて下向した建保6年(1218年)に花尾山の南麓に御堂を建て、源頼朝の尊像を安置したのが始まりと言われているそうです。
なぜ源頼朝?かというと、島津忠久公の父が源頼朝だからですね。
さらに母は丹後局なのですが、遺言によりこの地に葬られ、参道横には丹後局の御墓もあります。
社号標には「さつま日光」の文字が刻まれています。
これは正徳3年(1713年)に建立された現在の社殿の格子天井に401枚の草花の絵が極彩色で描かれていて、華麗な権現造の社殿が日光東照宮に似ていることから「さつま日光」と呼ばれているそうです。
<御祭神>
源頼朝公 丹後局 清和天皇 永金阿闍梨
とてものどかな感じの地域です
社号標
30分以上並びました😅
社殿の装飾が徐々に見えてきました
注連縄の紙垂が木漏れ日を反射して、なんとなく神々しい感じ
格子天井の天井画
手水
社殿横の稲荷大明神と春日大明神
丹後局の御墓はこの上にあるのですが、駐車場はこの先だったため御墓には行けず。。
花尾神社(はなおじんじゃ)
旧社格:村社
御祭神:源頼朝公、丹後局、清和天皇、永金阿闍梨
ようやくコロナが落ち着いてきたので参拝してきました
仕事がめちゃくちゃ忙しく、コロナの第5波もあって
約4か月ぶりに神社へ参拝出来ました。
いつの間にか彼岸花が咲く時期になってたんですねぇ・・・
境内の雰囲気もイイ感じでした。
御社殿
神社へ向かう途中に宮司さんのご自宅兼社務所があり
そちらで御朱印を頂けるそうです。
この日はお宮参りでお忙しいみたいだったのでそのまま帰りました。
歴史
藩祖島津忠久公が薩隈日三州の守護職に任ぜられ下向したおり、建保六年(1218)頼朝公の尊像を花尾山の麓に安置したのが創建の時と言われている。花尾大権現廟記によると、忠久公は母の丹後局と養父惟宗廣言を薩摩に迎え、廣言を市来の地頭職に任じ、丹後局に満家院の厚地村と東俣村を与えたということである。
現在の社殿は、正徳三年(1713)の建造で極彩色の権現造り、拝殿等の格子天井には四百余枚の植物が描かれ、また幣殿や向拝の彫刻や装飾は壮麗で工芸美術の粋を集め、高尚にして格調高く、別名「さつま日光」とも言われている。拝殿や幣殿には、藩や家臣をはじめ、琉球などから贈られた扁額など多数が掲げられ、文化的・歴史的に優れた価値のある文化財である。
名称 | 花尾神社 |
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読み方 | はなおじんじゃ |
通称 | さつま日光 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 099-298-7669 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》源頼朝,丹後局,《配》僧永金,清和天皇 |
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ご由緒 | 藩祖島津忠久公が薩隈日三州の守護職に任ぜられ下向したおり、建保六年(1218)頼朝公の尊像を花尾山の麓に安置したのが創建の時と言われている。花尾大権現廟記によると、忠久公は母の丹後局と養父惟宗廣言を薩摩に迎え、廣言を市来の地頭職に任じ、丹後局に満家院の厚地村と東俣村を与えたということである。
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