かもうはちまんじんじゃ
蒲生八幡神社のお参りの記録一覧
日本一の大楠の木が祀られている姶良市蒲生の
蒲生八幡宮にお参りしました
小さめの県道から鳥居を車でくぐりその先左手に駐車場があります。17時まで。
社務所は16時半くらいからお片付けをされるそうなので御朱印は少し早めの方が良いかと思います。
置き書きでお日にちを入れていただきました
500円
日本一の大楠
16:45になると片付けされていました
御朱印は少し早めの時間がいいかも
大楠の鳥居側
日本一の巨樹「大クス」で有名な蒲生八幡神社さんです。
何年振りかに参拝させていただきましたが、やはり大クスはとても力強く、その大きさに圧倒されます。
環境省自然環境局のHPには、「全国最大級の巨木(上位10傑) H13.3現在」として、こちらの大クスが幹回り2,422cmで日本一とされています。
三が日は多くの参拝者で混雑しているだろうということで4日にお参りしたのですが、それでも多くの参拝者が訪れ、拝殿前には長い列ができていました。
<御祭神>
本社:仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
摂社:四所宮 仁徳天皇 宇治皇子 宇礼姫 九礼姫
末社:武内社 天社地社 早風社 十八神社 善神王社
保安4年(1123年)、この地の豪族であった蒲生氏の初代当主・蒲生上総介舜清が豊前國宇佐八幡宮を勤請して、この地に創建したと伝えられています。
蒲生上総介舜清の母は宇佐八幡宮の宮司家の出身だったそうです。
御朱印帳
まずは大クスにご挨拶
大クスのすぐ横に手水舎があります
拝殿
本殿
【大隅國 古社巡り】
蒲生八幡神社(かもう・はちまん~)は、鹿児島県姶良市蒲生町上久徳にある神社。旧社格は県社。祭神は八幡三神(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)。旧称は「正八幡若宮八幡宮」。境内の「蒲生のクス」は国の特別天然記念物。
平安時代後期の1123年、藤原北家教通流の分出とされる蒲生(かもう)氏の初代当主・蒲生舜清(ちかきよ)が大隅国に下向する際、生母が宇佐八幡宮の宮司家出身であった縁から同宮から勧請して創祀した。戦国時代に島津氏との激しい戦いの末、蒲生氏は敗れて1557年に他地に退去させられ、のちに島津義弘が社殿を再建した。
当社は、JR日豊本線・帖佐駅の北西8kmの、蒲生川沿いに発展した内陸の市街地の中、小丘の斜面にある。平地の段階から幅の広い参道が続き、徐々に登った最上部に大きな社殿があるオーソドックスな造り。特筆すべきは、社殿近くにある御神木の「蒲生のクス」で、推定樹齢は1500年もあり、1988年に環境庁から「日本一の巨樹」に認定されている。また、理由は分からなかったが、若者の参拝者が非常に多いことにも驚かされた。
今回は、鹿児島県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、若者を中心に、老若男女問わず、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。鳥居前後の参道は公道になっていて駐車場に至る。
参道を進んで階段の始まるところから社殿方向を望む。参道脇の立派な高木が迎えてくれる。
階段左側の門守社。
階段右側の門守社。
階段をひとしきり登ったところから、社殿周り全景。
社殿までの階段左脇にある<手水舎>。
手水舎の左手には、<日本一の巨樹>と旧環境庁から認定されている、国指定特別天然記念物<蒲生のクス>。
推定樹齢1500年、樹高30m、根周り33m超、目通り幹回り24m超。
巨木好きの自分としても見たことがないデカさ。これはヤバい!(;゚Д゚)
社殿までの階段下左側<狛犬>。
社殿までの階段下右側<狛犬>。
社殿までの階段を上がるとすぐに<拝殿>。彩色が華やかな向拝。
かなり人が多いので並びながら撮影。
<拝殿>正面。上部に扁額はなし。扉は新しいサッシ仕様。
拝殿後ろの<本殿>。幣殿とともにサイズは大きく彩色は華やか。
社殿の右側にある境内社群。
境内社群の前から<社殿>の眺め。
社殿の左手からの<社殿>の眺め。
社殿の左手、少し離れたところにある<授与所>。御朱印はこちら。
若い人を中心に、かなり賑わっている。
授与所の北側、小丘の上から見た<蒲生のクス>。
根元近くを通る人々や小型SUVと大きさを比べると、クスの太さが相当ヤバいことが分かる。
最後に<社殿>全景。地元で愛され、老若男女が楽しげに集まる素晴らしい神社。(^▽^)/
【蒲生八幡神社】
由緒 保安四年(西暦1123年・平安末期)鳥羽天皇の御宇時の蒲生院総領職であった蒲生上総介舜清【かもうかずさのすけちかきよ】が、豊前國宇佐八幡宮を勤請して、現在の地に創建せしものなりと云ふ。
- 御祭神 -
本社 仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
摂社 四所宮、仁徳天皇、宇治皇子、宇礼姫、九礼姫
末社 武内社(高良神)天社地社、早風社、十八神社、善神王
爾来、今日に至るまで、蒲生家及び島津藩主とも当社を深く敬齋し、特に、島津義弘公は社殿を再興し、新たに華表を建て、正八幡若宮の額を掲げ、大刀、甲冑、宝器を寄進するなどしたので、御神威弥益々に増せりと云ふ。
かく、歴代藩主を初め藩民の崇敬弥厚く、祭祀も厳かにとりおこなわれて来たが、廃藩置県以後は、闔郷の宗廟として、また、あまねく郷民の心の寄り処として限りない信仰を集めて来た。故に、明治六年五月郷社に列せられ、更に、大正五年五月十九日県社に昇格した。
御祭神の御神徳
商工の神、学問・芸術の神
応神天皇は、御在世中農耕を奨励し、百済(韓國)から裁縫の術を伝え、また、呉國(中国)から織工を召して機械紡績の道を開き、さらに、学者を招き典籍を伝えて我國の文化の基を築くなど数々の御偉業を残されたので、殖産興業の祖神として、また、学問芸術の祖神として崇められている。
自立自興の神、安産の神
神功皇后と応神天皇とは御母子であるので、古から母子神としての信仰が盛んで、その限りない慈しみのゆえに我が子に正しく強い心を合わせ持つようにと教え育てられた。神功皇后は三韓征伐ののち、福岡の宇美で応神天皇をうみ給ふ。そのためお産の神、安産の神として著しい信仰がある。
蒲生八幡神社(かもうはちまんじんじゃ)
御祭神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
国指定有形文化財の「秋草雙雀文様一面の銅鏡」の他に、
117面に及ぶ銅鏡が保有されているそうです。
御神木の大楠は一見の価値アリです。
かなり前の参拝ですが、
写真が出てきたのでアップします。
当時は御朱印に興味がなかったので頂いていません。
御社殿。
樹齢1600年の大楠(国指定天然記念物)
和気清麻呂公が宇佐八幡の信託を奉上し、大隅に流された時に蒲生を訪れ、
手にした杖を大地に刺したところ、それが根付いて大きく成長したという
伝説があるそうです。
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