とよたまひめじんじゃ
豊玉姫神社のお参りの記録一覧
鹿児島県南九州市知覧町郡に鎮座する豊玉姫神社。
最福寺に参拝後、それほど遠くなかったこともあり急遽参拝させていただきました。
知覧と聞くと、私の中でまず最初に思いつくのが知覧茶。 そして特攻隊でしょうか。
知覧特攻平和会館はまだ訪れたことはなく、今回も夕方ということもあり見学することはできませんでした。
二度と戻ることがない出撃を命じられた多くの兵士や、それを見送る家族の悲しみなど想像を絶するものだったことでしょう。 今の平和な日本に生きていられることに感謝するためにも映像や遺品などをみて、その悲惨さを学び、改めて戦争を起こさない決意をするためにもいつかは見学したいと思います。
また近くには知覧武家屋敷通りなどもあるので、それらも含めてまたいつかゆっくりと知覧には訪れたいですね。
境内の一角には「水からくりやかた」がありました。
残念ながら夕方ということもあり動いてはいませんでしたが、水車を動力として人形を動かす南薩摩に伝わる伝統芸能とのこと。
江戸時代後期頃には当社にもあったそうです。
授与所は既に閉まっていたのですが、書置き御朱印がありいただいて参りました。
<御祭神>
豊玉姫命(主祭神)
彦火々出見命(夫神)
豊玉彦命(父神)
玉依姫命(妹神)
<御由緒>~豊玉姫神社HPより~
海の神である綿津見神(豊玉彦命)には二柱の娘がおり、姉の豊玉姫は川辺を、妹の玉依姫は知覧を治めることとなり、衣の郡(今の頴娃、開聞のあたり)をご出発され、 途中、鬢水峠、御化粧水、飯野、宮入松、白水を経て取違にお泊りになった。
ここで玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のままの朝食をとり川辺へ先発された。 平常のように白米をお炊きになった豊玉姫は遅れてしまったので、やむなく玉依姫の治めるはずであった知覧へ向かい、上郡の城山の下に居を定めて知覧を治められた。
ここで豊玉姫は民生を撫育された後崩御遊ばしたので、郷民はそのご遺徳を慕って社殿を建立し、鎮守の神として崇敬したのが当社のはじまりといわれる。
天正年間(1573~1591)火災に罹り消失。慶長15年(1610)に時の領主島津忠充公が現在の地を寄進し、遷宮したと伝わる。
応永年間、元亀年間、慶長15年、寛文11年造替再興が行われた。現在の社殿は昭和14年に建立されたものである。
拝殿手前の両脇には門守社
拝殿
本殿
水からくりやかた
からくりやかたの内部
過去に使用されていた水車
縁結び夫婦銀杏(男銀杏)
縁結び夫婦銀杏(女銀杏)
知覧を訪れた時に 竜宮神社に行ったから 豊玉姫神社は行かないと‼️と思い かなり歩いてやっとたどり着いた神社⛩️
入口の石看板はかなり年季が入ってだけど 境内も広く 拝殿はとてもキレイ💕
ただ大変困ったのが お参りしてご朱印を頂こうと社務所に行くと誰も居られず 呼んでも誰も出て来てくれない😩💦💦
お納め料が書いてあったので 社務所のカウンターのトレイに入れていただいた💦
こんなの初めて😢
男銀杏👨女銀杏👩があり 水からくりやかた💧や二代目水車 カラクリ人形も置いてあった🪆
少しこの世ではないような不思議な空間だった😅
神社までにあった橋⛩️
道路の突き当たりにやっと鳥居が見えて来た⛩️
看板はかなり年季が入っている
手水舎
鳥居から拝殿が見える
拝殿
社務所
呼んでも誰も出て来てくれなかった😂
男銀杏👨
女銀杏👩
水からからやかた💧
二代目の水車💧
たぶんからくり人形🪆
【薩摩國 古社巡り】
豊玉姫神社(とよたまひめ~)は、鹿児島県南九州市知覧町郡にある神社。旧社格は県社。祭神は豊玉姫命、豊玉彦命、彦火々出命、玉依姫命。
創建は不詳。社伝によると、かつて当地を治めた豊玉姫の崩御後、里人が豊玉姫を慕い宮居の跡に社殿を建立したのが始まり。1324年には開聞神社の支配下で「開聞中宮大明神」と称したが、その後「中宮三所大明神」と改称、天正年間に火災で社殿を焼失したが、1610年に知覧領主・島津忠充が現在地を寄進し遷座、同時に「中宮大明神」と社名を変えている。明治に入り、現在の社名「豊玉姫神社」に改称し郷社に列っし、1941年に県社に昇格した。
当社は、JR指宿枕崎線・中名駅の西方10km、道のり17kmあまりの山間の平地、耕作地帯と森林の縁にある。県道27号線の北側にある境内は木々に包まれた広々としたもの。最奥の一段高いところにある社殿は彩色豊な色合いが特徴的で大きいもので、旧県社らしく堂々としている。社殿周りには授与所なども固まっていて集約されている。社殿と離れた入口近くには「水からくりやかた」という薩摩水車からくり人形の建物があって、国選択無形民俗文化財になっている「海幸山幸」で描かれている豊玉姫の物語が展示されている。
今回は鹿児島県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中、地元の人々と思しき家族連れが大勢参拝に訪れていた。
境内南端入口全景。<神橋>を渡って右側に<社号標>、一段高いところに<鳥居>がある。
鳥居をくぐったところからの眺め。鳥居をくぐって右斜め前に進むイメージ。
参道左側にある<手水舎>。
<社殿>遠景。一段高いところにある。
参道左側の<門守社>。
参道右側の<門守社>。
右側の門守社の左隣にある<茅の輪>。
<拝殿>全景。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。特徴的な<注連縄>。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿と同様鮮やかな色あい。
斜めから<社殿>全景。旧県社らしい堂々たるサイズ。
拝殿の左側にある<授与所>。御朱印はこちら。
入口の鳥居の左手(西側)にある<水からくりやかた>。
海神・豊玉彦命(綿津見大神)の娘で、竜宮に住んでいたという豊玉姫命の物語がからくり人形で表現されている。(^▽^)/
【豊玉姫神社】
御祭神
* 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)主祭神
* 彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)夫神
* 豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)父神〈海神・綿津見神〉
* 玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)妹神
海の神である綿津見神(豊玉彦命)には二柱の娘がおり、姉の豊玉姫は川辺を、妹の玉依姫は知覧を治めることとなり、衣の郡(今の頴娃、開聞のあたり)をご出発され、 途中、鬢水峠、御化粧水、飯野、宮入松、白水を経て取違にお泊りになった。
ここで玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のままの朝食をとり川辺へ先発された。 平常のように白米をお炊きになった豊玉姫は遅れてしまったので、やむなく玉依姫の治めるはずであった知覧へ向かい、上郡の城山の下に居を定めて知覧を治められた。
ここで豊玉姫は民生を撫育された後崩御遊ばしたので、郷民はそのご遺徳を慕って社殿を建立し、鎮守の神として崇敬したのが当社のはじまりといわれる。
豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)
旧社格:県社
御祭神:豊玉姫命、彦火々出見命、豊玉彦命、玉依姫命
鹿児島県内で一番訪れたかった神社です。
ようやく参拝することが出来ました。
鳥居。
御本殿は鳥居から見て正面ではなく右後方にあります。
以前は正面にあったそうですが建て替えられたため現在の位置に。
手水舎。
水からくりやかた。
水車を回して動くからくり人形のようです。
現在コロナ禍で休止中でした。
御社殿。
狛犬様。
手書きの御朱印を頂けました。
独特の書体です。
神社を出て県道23号線で3kmほど離れた豊玉姫稜へ。
田んぼの真ん中にポツンとありました。
以前はこの一帯は林だったそうですが、開墾されて田んぼに。
しかしこの場所だけは絶対に鍬を入れてはならないと
そのままにされているそうです。
山幸彦(日子火々出見命)が無くしてしまった兄の釣り針を海の世界に探しにきたとき、豊玉姫命が海の宮殿前の井戸(玉の井)で水を汲んでいたところ、二人は出会い結婚しました。
お顔が玉のように綺麗な方で、御子(ウガヤフキアエズ命)を出産する時も、軽々と出産。そのエピソードから、妊婦は豊玉姫神社で参拝すると「必ず安産で、その上美形の子を産むと神社略記にも記載がありました。
また父・妹も海の神様であることから、航海安全のご利益も高い神社のようです。
後で知ったのですが、この近くに、豊玉姫陵(豊玉姫のお墓)もあります。
いつか、参拝出来ればいいな思います。
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