てんのうじ|真言宗御室派|金華山
天皇寺のお参りの記録一覧
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
79番 天皇寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
79番 天皇寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
79番 天皇寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
79番 天皇寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
79番 天皇寺
憧れの四国八十八霊場巡り日帰り5回目です。
今回の日帰り旅行はこの地でおしまいです。
八十八霊場ですと 長尾寺→志度寺→一宮寺→根香寺→白峯寺→讃岐國分寺→天皇寺と巡りました。
讃岐國分寺から10分ほどで着きます。
車を駐車場に停めると 確かに天皇寺とあるのですが すぐ横に白峰宮とあります。
まずは天皇寺にお参りします。
白峰宮を挟んで東西に境内がのびています。
本堂も大師堂も地蔵堂もあり 歴史を感じる堂宇には心が満たされます。
本坊へつながる道には門があり 一方には蓮 もう一方には葡萄が描かれています。
門の上には鳩。平和です。
山号は金華山 院号は高照院 宗旨宗派は古義真言宗御室派 ご本尊は十一面観世音菩薩 創建年は(伝)天平年間 開基は(伝)行基 中興年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 中興は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:十楽(じゅうらく)の浮世の中をたずねべし 天皇さえもさすらいぞある
でした。
由緒については
寺伝によると 天平年間に行基は カナヤマビメとカナヤマビコが鎮座する金山に薬師如来を本尊とした堂宇を開創した。
さらに後 空海(弘法大師)が八十場の泉を訪れたとき 金山権現の化身である天童が現れ閼伽井を汲み大師に給仕し この山の仏法を守るようにと宝珠を預けた。
大師はこの宝珠を嶺に埋め 荒廃していた堂舎を再興し その寺を摩尼珠院妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)と号した。
また大師は その霊域にあった霊木で本尊十一面観音 脇侍阿弥陀如来 愛染明王の三尊像を刻造して安置した。
そして 金山ノ薬師は札所となり それらの霊験著しく七堂伽藍が整い境内は僧坊を二十余宇も構えるほど隆盛した。
崇徳上皇は 保元の乱(1156年)で敗れ讃岐国に配流となり 最初の約3年は雲井御所で過ごし その後 情勢の変化により厳しく管理するため当所に移され 約6年余り幽閉された後の長寛2年(1164年)旧暦8月26日に崩御した。
そして 二条天皇は 崩御の地に一堂を設けるよう沙汰を下しており 上皇が最期に住んだ終焉の地であり神光が光った上皇の魂が宿る御所跡である当所に 霊を鎮めるためその年の内に御廟が建てられた。
また 寛元2年(1244年)後嵯峨天皇の宣旨により崇徳天皇社は再建され 摩尼珠院はその別当職に任じられ崇徳院永代供養の寺という役割を担わされた。
そして いつの頃からか札所は金山ノ薬師から崇徳天皇社とその別当摩尼珠院となった。
ゆえに人はみな摩尼珠院は「天皇寺」と呼び 崇徳天皇社は「天皇さん」と親しまれるようになった。
明治維新直前 明治天皇の宣旨により崇徳院御霊は京都白峯宮へ戻され 崇徳天皇社は崇徳上皇を祀ることを廃止し白峰宮と改名された。
摩尼珠院は廃寺となった。
ただ 初代神官には摩尼珠院主が赴任し 79番札所は筆頭末寺の奇香山仏乗寺高照院が引き継ぐことになった。
その後 神仏分離令の嵐がおさまった明治20年(1887年)高照院は 摩尼珠院跡の現在地に天皇寺高照院として移転した。
とありました。
碑
石柱
鐘楼
地蔵堂
フクロウ
本堂
扁額に 金剛界説法とあります
大師堂
手水
梅がきれいです
本坊への門
本坊から見て
本坊納経所
かわいらしいお地蔵様
【金華山(きんかざん)高照院(こうしょういん)天皇寺(てんのうじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:行基菩薩
天平年間(729-749)、当地を訪れた行基菩薩は、鉱石が多く産出されるこの山を、金山と名付け、この金山中腹に薬師如来を御本尊とした金山摩尼珠(まにしゅ)院を建立した。その後、弘仁年間(810-824)に弘法大師(774-835)が訪れ、朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の第79番札所の場に移動させ、金華山妙成就寺摩尼珠院とする。このとき、十一面観世音菩薩を彫り本尊とし、脇寺として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造した。
第75代天皇 崇徳上皇は、1156年、保元の乱で敗れ讃岐国に配流となり、摩尼珠院の末寺に居を構える。崩御後、崇徳天皇(在位 1123- 1142)の霊を鎮めるため第78代 二条天皇(在位1158-1165)が崇徳天皇社を建立。明治の神仏分離令により寺と天皇社は分かれ、天皇社が白峰宮に、筆頭末寺の高照院が天皇寺にそれぞれ名を改めた。
【79_T.Hamada's view】
本堂(右前)と大師堂(奥)がL字に並ぶ。
【79_三輪鳥居】
保元の乱に敗れた 崇徳上皇の霊を鎮めるために建てられた神宮寺。山門はなく、鳥居の左右に小さな鳥居のついた「三輪鳥居」が立つ。このような鳥居は全国でも数少ない。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【79_三輪鳥居】
「崇徳天皇」の扁額(へんがく)が掛かる。
【79_本堂】
【79_大師堂】
【79_白峰宮】
鳥居の正面に白峰宮が鎮座。
【79_石碑】
【79_大楠】
境内にある楠の大木。
金華山 高照天皇寺
四国八十八ヶ所79番札所
長寛2年(1164年)、保元の乱に敗れ、当地に流されていた崇徳上皇(すとくじょうこう=讃岐に配流されたため讃岐院とも)が46歳で崩御。
この時、遺体を冷たい八十場の泉に浸して保存し、腐敗を防ぎ、後に崇徳上皇の冥福を祈願し崇徳天皇社(明治維新後に崇徳上皇を祀ることを廃止し白峰宮と改名)を建立、神宮寺となった寺は、天皇寺と呼ばれるようになったもの。
明治の神仏分離、廃仏毀釈の荒波でいったん廃寺となりましたが、明治20年、末寺の高照院が高照院天王寺に改めて再興。
参道入口には崇徳天皇社の鳥居が建つのは神仏習合時代の名残りです。
とってもおもしろいお寺❓神社❓ってかんぢでした(笑)
土曜日だし天気も良かったのでお遍路さんがチラホラ🎶
御朱印貰ってだいたいは紙を挟んでくれるけどここはドライヤーが置いてありました(笑)新しい〜〜(笑)
隣接して白峰宮があります。
本堂
大師堂
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