やくりじ|真言宗大覚寺派|五剣山(ごけんざん)
八栗寺
香川県 六万寺駅
納経所/7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 八栗登山口駅前 普通車 250台、マイクロバス10台、大型車10台(無料) |
四国お遍路第85番札所、五剣山観自在院八栗寺。弘法大師が求聞持法を修していたとき五柄の利剣が降ってきた。蔵王権現が現れ守護の神託を告げた。弘法大師はこの五剣を中獄に埋め大日如来を刻み鎮護とし五剣山と号した。
八栗ケーブルであがります。
八栗寺、聖天堂へ。
大師堂。
多宝塔。
本堂。松平家、葵の門。
本堂。ご本尊は聖観世音菩薩。
ご本尊の歓喜天は木喰以空上人が東福門院より賜った。
【五剣山(ごけんざん)観自在院(かんじざいいん)八栗寺(やくりじ)】
本尊:聖観世音菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開基:弘法大師
弘法大師(774-835)がこの山で虚空蔵求聞持(こくうぞうぐもんじ)法を修行した際、5つの剣とともに蔵王権現が現れたとされ、大師は5剣を山中に埋めて大日如来を山の鎮護とした。山の名はここからついた。また、大師は唐での修行の成果を試すため、あらかじめ8つの焼栗を植えておいた。唐から帰ってみると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていたので「八栗寺」と名づけたという。
【85_T.Hamada's view】
山門(二天門)。
【85_中将坊と下駄の奉納】
「中将坊」は、夜には山から下りてきて民衆のために良いことをして朝帰る正義の天狗。中将坊を祀った中将坊堂脇に下駄を奉納し、翌日下駄が汚れていれば中将坊が働いてくれた印だと言われている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【85_奉納された下駄】
お堂の横に奉納された下駄が汚れているのは、中将坊が、願いを叶えるため夜中にそれを履いて、駆け巡ったからだと言われている。
【85_本堂】
【85_大師堂】
【85_お迎え大師】
表参道を歩いて参拝する人々をお迎えするということから「お迎え大師」。弘法大師の若々しい風貌は、大師堂の本尊の模刻。
【85_五剣山】
五剣山はもともと5つの峰があったが、宝永の大地震(1706)で東の1峰が中腹より崩落し、現在の4峰になったとされている。
【85_持国天像】
山門(二天門)。
【85_多聞天像】
山門(二天門)。
【85_聖天堂】
木食以空(もくじきいくう)上人が後水尾天皇皇后東福門院から賜った歓喜天が祀られている。商売繁盛や学業成就、縁結びにご利益があると言われ「八栗の聖天さん」として親しまれている。
【85_龍の手水舎】
【85_仏足石】
【85_鐘】
會津八一(あいづやいち)(歌人 秋艸道人(しゅうそうどうじん))揮毫の「八栗寺の鐘」。
鐘に刻まれている會津八一遺作の歌
わたつみの そこゆくうをの ひれにさへ ひひけこのかね のりのみために
(意味 海の底深く泳いでいる魚のひれにまで響けこの鐘よ 仏法のために)
【85_地蔵堂】
【85_多宝塔】
【85_十一面観世音菩薩像】
【85_聖観世音菩薩像】
【85_木食以空上人像】
八栗寺に歓喜天を勧請し、寺の繁栄の礎を築かれた。肉類や五穀を食べず、木の実や草などを食して修行することを「木食」という。
【85_中将坊堂入口】
【85_中将坊堂】
本尊は中将坊さまで、讃岐三大天狗のひとつ。除災招福や健脚などのご利益がある。なお、讃岐三大天狗とは中将坊と白峯山の相模坊と金毘羅山の金剛坊。
【85_竹居観音寺その1(八栗寺奥之院)】
八栗寺から車で北へ20分程度の距離にある。四国本土の最北端。生駒親正(いこまちかまさ)公が1590(天正18)年、高松城築城にあたって城の鬼門(北東)の守り神として岩窟の奥に馬頭観世音菩薩を祀り、その後に高松城に入った松平頼重(まつだいらよりしげ)公が寛永年間(1624-1644)にここに勢至菩薩(せいしぼさつ)、十一面観世音菩薩を併せ祀っている。
【85_竹居観音寺その2(八栗寺奥之院)】
【85_竹居観音寺その3(八栗寺奥之院)】
【85_竹居観音寺その4(八栗寺奥之院)】
岩窟(いわや)の入口。
屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山があります。地上から剣を突き上げたような神秘的な山です。八栗寺はその8合目にあり、多くの遍路さんはケーブルカーで登られます。 天長6年、大師がこの山に登り求聞寺法を修めた時に、五振りの剣が天振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現が現れました。そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護とし大日如来像を刻み五剣山と名付けられました。
五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名でした。 延暦年中、師は唐に留学する前に、再度この山に登りました。そして入唐求法の成否を占うために8個の焼き栗を植えられました。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていました。これが八国寺を八栗寺へ改名した由来です。この寺も長宗我部元親による八栗攻略の兵火により全焼しました。しかし、江戸時代に無辺上人が本堂(三間四面)、さらに高松藩主松平頼重が現在の本堂を再興、弘法大師作の聖観自在菩薩を本尊として安置し、観自在院と称するようになりました。五剣山は、宝永3年(1706)に、大地震を遭い、昔は五つの嶺のうち、東の一嶺が中腹より崩壊し、現在の姿になりました。
住所 | 香川県高松市牟礼町牟礼3416 |
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行き方 | 84【屋島寺】より
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名称 | 八栗寺 |
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読み方 | やくりじ |
参拝時間 | 納経所/7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 087-845-9603 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://yakuriji.jp/ |
SNS |
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
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山号 | 五剣山(ごけんざん) |
院号 | 観自在院(かんじざいいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗大覚寺派 |
創建時代 | 天長6年(829) |
開山・開基 | 弘法大師 |
札所など | 四国八十八箇所85番 |
文化財 | 八栗寺のイチョウ(香川の保存木) |
ご由緒 | 屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山があります。地上から剣を突き上げたような神秘的な山です。八栗寺はその8合目にあり、多くの遍路さんはケーブルカーで登られます。 天長6年、大師がこの山に登り求聞寺法を修めた時に、五振りの剣が天振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現が現れました。そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護とし大日如来像を刻み五剣山と名付けられました。
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体験 | 祈祷御朱印札所・七福神巡り |
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