ふじはらひこじんじゃ
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藤原比古神社について
建久元年(1190)、宮古地方の統治者となった鎮西八郎為朝三男、閉伊頼基の妻は近江の国の豪族佐々木四郎高綱の娘、音羽姫であったとされる。音羽姫は、藤畑から一株の藤を住まいの地に移し植えたところ、繁って大きく育っち、藤原という地名が生まれた。藤原比古神社は、元は藤明神といい、藤を愛した音羽姫を祀っている。かつては藤原の町なかにあったが、戦災と洪水に見舞われ、現在地の小高い丘に遷座した。音羽姫の愛した藤の木は、大津波にあって枯れ死んでしまったという。
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歴史
藤原地区の西側の山の中腹にあるのが藤原比古神社だ。この神社は中世の時代、閉伊地方を統治していた閉伊氏の初代とされる閉伊頼基の妻、音羽御前を奉る神社だ。以前は社が藤原町内にあり生前音羽御前が愛した藤の巨木があったがたび重なる災害により昭和36年(1961)現在の場所に遷宮した。神社としての発生は天保2年(1832)藤原の大井家で京都から勧請しその折り藤原比古神社の社号を賜った。また、比古神社の「比古」は「彦」という意味もあり黒森神社の伝説(三上文書)にある宮古湾に身を投げた是津親王の遺骸を火葬した跡に塚を作って手厚く弔った場所という言い伝えにも通じる。
比古神社の縁日は宵宮に夜神楽、地区の子供たちによる藤原若潮太鼓奉納が行われる。
名称 | 藤原比古神社 |
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読み方 | ふじはらひこじんじゃ |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
詳細情報
ご祭神 | 音羽姫霊オトワヒメノレイ |
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ご由緒 | 藤原地区の西側の山の中腹にあるのが藤原比古神社だ。この神社は中世の時代、閉伊地方を統治していた閉伊氏の初代とされる閉伊頼基の妻、音羽御前を奉る神社だ。以前は社が藤原町内にあり生前音羽御前が愛した藤の巨木があったがたび重なる災害により昭和36年(1961)現在の場所に遷宮した。神社としての発生は天保2年(1832)藤原の大井家で京都から勧請しその折り藤原比古神社の社号を賜った。また、比古神社の「比古」は「彦」という意味もあり黒森神社の伝説(三上文書)にある宮古湾に身を投げた是津親王の遺骸を火葬した跡に塚を作って手厚く弔った場所という言い伝えにも通じる。
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