もうつうじ
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毛越寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年07月29日(土)
参拝:2023年7月吉日
平泉駅から徒歩数分。そこにあるのは広い夢の跡。
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
門で見かけた若い男性の話だ。
車椅子高齢女性を車から降ろした若い介護士さんが
「着きましたよー。もうえつじですよー」と。
うむ。確かに、「もうえつじ」と読んでも仕方ないだろうなと思う。
その広大な敷地に広がる深い緑色。各所に「○○跡」と書かれた案内板が出ている。そこからはかつての奥州藤原氏の栄華を想うのであった。
申し訳ないのだが、藤原氏の栄華を予習せずに行くと、「何、ここ?」と思うだけだと思う。私も予備知識なしに歩く途中で無量光院を見た時に、「何、ここ?」と思った。
これだけの広大な土地に浄土庭園を作ったのが奥州藤原氏の凄さなのだ。
興味のある方は、こちらをご覧ください。
https://note.com/shaludone1/n/n01599d33f956
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
門で見かけた若い男性の話だ。
車椅子高齢女性を車から降ろした若い介護士さんが
「着きましたよー。もうえつじですよー」と。
うむ。確かに、「もうえつじ」と読んでも仕方ないだろうなと思う。
その広大な敷地に広がる深い緑色。各所に「○○跡」と書かれた案内板が出ている。そこからはかつての奥州藤原氏の栄華を想うのであった。
申し訳ないのだが、藤原氏の栄華を予習せずに行くと、「何、ここ?」と思うだけだと思う。私も予備知識なしに歩く途中で無量光院を見た時に、「何、ここ?」と思った。
これだけの広大な土地に浄土庭園を作ったのが奥州藤原氏の凄さなのだ。
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すてき
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かおり1315投稿
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