ちゅうそんじ
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中尊寺ではいただけません
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中尊寺のお参りの記録(3回目)
投稿日:2022年05月09日(月)
参拝:2022年4月吉日
前日参拝した時にどうしても行きたかった場所があったのですが見つけられず、中尊寺を後にしました。その夜生前妻と訪れた中尊寺の夢を見ました。昼間思い出せなかった場所も目覚めた時にハッキリ覚えていて、失念しかけてた妻との中尊寺での思い出や会話も昨日のことのように思い出しました。最近は夢でも逢える機会が減ってきていたので、素直に嬉しかったです。
予定を変更して翌朝中尊寺へ、昨日早い時間に閉まってしまった数箇所の御朱印もいただけました。参拝客が少ないと人件費の問題で
早々と閉めてしまうそうです😅弁慶堂の方が言ってました。
昨日見つけられなかった階段も無事に見つけられて、帰りに不思議な体験もしました。
以下は中尊寺の案内です
月見坂
国道4号線より中尊寺坂下へと足をすすめると、月見坂と呼ばれる坂の入り口へとたどり着きます。中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えます。老杉と山の空気が作り出す荘厳な雰囲気に浸りながら足をすすめると、右手には奥州藤原氏に縁の深い束稲山・北上川・衣川を眺望することができます。古の俳人芭蕉翁をはじめ多くの旅人がここで足を止め眼下に広がるその光景を眺め、在りし日の平泉の栄華に想いを馳せたに違いありません。
本堂
中尊寺の中心となる堂塔のひとつで、年間を通じて多くの法要・儀式、そして様々な行事が行われています。現在の本堂は明治42年に再建されたもので、本尊の釈迦如来坐像は丈六仏という一丈六尺の大きな仏様です。初代清衡公が中尊寺造営の折「丈六皆金色の釈迦如来」を中尊寺のご本尊様に安置したことにならい、平成25年、現在の仏様を建立・安置いたしました。本尊の両脇には伝教大師最澄様より灯りつづける「不滅の法灯」が本山延暦寺より分燈・護持されております。
金色堂[国宝]
金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。
金銅華鬘
こんどうけまん
金色堂にかけられていた銅製鍍金の華鬘。華鬘とは花輪のこと。インドでは生花を編んで輪にし、仏像の首や腕に掛けて供養した。のち、金属や皮、木などで花をかたどった華鬘がつくられ仏堂を飾るようになった。団扇形の内側には極楽に咲くといわれる宝相華(ほうそうげ)を透かし彫りにし、中央に総角結びのかざり紐、左右には極楽に飛ぶ人面鳥・迦陵頻伽(かりょうびんが)を彫り起こし、浄土世界を演出している。
中尊寺金色院 蔵
丈六仏
じょうろくぶつ
讃衡蔵に入ると正面に3体の丈六仏が安置されています。向かって左が薬師如来(もとは閼伽堂の本尊、金色院蔵)、中央が阿弥陀如来(もとは本堂の本尊、中尊寺蔵)、右が薬師如来(もとは峯薬師堂の本尊、願成就院蔵)です。いずれも平安時代後期の作とみられ、おだやかな表情をしています。
丈六とは、1尺(30.3cm)の16倍、1丈6尺の意味ですが、坐像なのでその半分強(266~273.3cm)の像高。3体ともに桂材で、重要文化財。
金光明最勝王経 金字宝塔曼荼羅
こんこうみょうさいしょうおうきょう きんじほうとうまんだら
紺紙に金泥で金光明最勝王経を塔の形に細字で写経し、一巻で一塔、計十塔からなる。塔は各部が精密にあらわされ、初層では釈迦如来が説法をおこなっている。塔の前には浄土の園池が広がり、仏法を聴聞する者が集う。塔の周囲には大和絵(やまとえ)風の彩色画によって経の意味が色彩豊かに展開している。宝塔曼荼羅は、写経・造塔造仏・経典解説の三功徳を一度に成就する善行として平安から鎌倉時代にかけてしばしば描かれたが、本図はその中でも代表作である。
中尊寺大長寿院 蔵
紺紙金銀字交書一切経
こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう
紺紙に銀泥で界線を引き、金字と銀字で1行ごとに経文を書いている。初代清衡公の発願になるもので、永久五年(1117)から8ヵ年を費やして完成した。表紙は宝相華唐草文様、見返し絵には釈迦説法図や経の内容を表す絵など多彩な図様が示されている。本来5300巻ほどあったものであるが、桃山時代に山外に移動し、国宝指定のものでは十五巻が中尊寺に伝わっている。
中尊寺大長寿院 蔵
金色堂で素敵な御朱印帳とも出会え、これから妻と巡った思い出の場所の御朱印だけをこの御朱印帳に記録していこうと思います🙏生きていたらまた12年後に中尊寺と毛越寺を訪れてみようと思います。
予定を変更して翌朝中尊寺へ、昨日早い時間に閉まってしまった数箇所の御朱印もいただけました。参拝客が少ないと人件費の問題で
早々と閉めてしまうそうです😅弁慶堂の方が言ってました。
昨日見つけられなかった階段も無事に見つけられて、帰りに不思議な体験もしました。
以下は中尊寺の案内です
月見坂
国道4号線より中尊寺坂下へと足をすすめると、月見坂と呼ばれる坂の入り口へとたどり着きます。中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えます。老杉と山の空気が作り出す荘厳な雰囲気に浸りながら足をすすめると、右手には奥州藤原氏に縁の深い束稲山・北上川・衣川を眺望することができます。古の俳人芭蕉翁をはじめ多くの旅人がここで足を止め眼下に広がるその光景を眺め、在りし日の平泉の栄華に想いを馳せたに違いありません。
本堂
中尊寺の中心となる堂塔のひとつで、年間を通じて多くの法要・儀式、そして様々な行事が行われています。現在の本堂は明治42年に再建されたもので、本尊の釈迦如来坐像は丈六仏という一丈六尺の大きな仏様です。初代清衡公が中尊寺造営の折「丈六皆金色の釈迦如来」を中尊寺のご本尊様に安置したことにならい、平成25年、現在の仏様を建立・安置いたしました。本尊の両脇には伝教大師最澄様より灯りつづける「不滅の法灯」が本山延暦寺より分燈・護持されております。
金色堂[国宝]
金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。
金銅華鬘
こんどうけまん
金色堂にかけられていた銅製鍍金の華鬘。華鬘とは花輪のこと。インドでは生花を編んで輪にし、仏像の首や腕に掛けて供養した。のち、金属や皮、木などで花をかたどった華鬘がつくられ仏堂を飾るようになった。団扇形の内側には極楽に咲くといわれる宝相華(ほうそうげ)を透かし彫りにし、中央に総角結びのかざり紐、左右には極楽に飛ぶ人面鳥・迦陵頻伽(かりょうびんが)を彫り起こし、浄土世界を演出している。
中尊寺金色院 蔵
丈六仏
じょうろくぶつ
讃衡蔵に入ると正面に3体の丈六仏が安置されています。向かって左が薬師如来(もとは閼伽堂の本尊、金色院蔵)、中央が阿弥陀如来(もとは本堂の本尊、中尊寺蔵)、右が薬師如来(もとは峯薬師堂の本尊、願成就院蔵)です。いずれも平安時代後期の作とみられ、おだやかな表情をしています。
丈六とは、1尺(30.3cm)の16倍、1丈6尺の意味ですが、坐像なのでその半分強(266~273.3cm)の像高。3体ともに桂材で、重要文化財。
金光明最勝王経 金字宝塔曼荼羅
こんこうみょうさいしょうおうきょう きんじほうとうまんだら
紺紙に金泥で金光明最勝王経を塔の形に細字で写経し、一巻で一塔、計十塔からなる。塔は各部が精密にあらわされ、初層では釈迦如来が説法をおこなっている。塔の前には浄土の園池が広がり、仏法を聴聞する者が集う。塔の周囲には大和絵(やまとえ)風の彩色画によって経の意味が色彩豊かに展開している。宝塔曼荼羅は、写経・造塔造仏・経典解説の三功徳を一度に成就する善行として平安から鎌倉時代にかけてしばしば描かれたが、本図はその中でも代表作である。
中尊寺大長寿院 蔵
紺紙金銀字交書一切経
こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう
紺紙に銀泥で界線を引き、金字と銀字で1行ごとに経文を書いている。初代清衡公の発願になるもので、永久五年(1117)から8ヵ年を費やして完成した。表紙は宝相華唐草文様、見返し絵には釈迦説法図や経の内容を表す絵など多彩な図様が示されている。本来5300巻ほどあったものであるが、桃山時代に山外に移動し、国宝指定のものでは十五巻が中尊寺に伝わっている。
中尊寺大長寿院 蔵
金色堂で素敵な御朱印帳とも出会え、これから妻と巡った思い出の場所の御朱印だけをこの御朱印帳に記録していこうと思います🙏生きていたらまた12年後に中尊寺と毛越寺を訪れてみようと思います。
すてき
みんなのコメント(6件)
おしりちゃん (๑•🐽•๑)Q
素敵な御朱印ですね!
岩手は今が🌸なんですね!
夢でも逢えたら嬉しいですよね!良かったですね😊
2022年05月09日(月)
参拝は4月の下旬でしたが、例年より少し早かったようです🌸
コメントありがとうございます♪
2022年05月09日(月)
思い出の場所の御朱印集め、ステキですね。中尊寺去年参拝しましたが、「勝」の御朱印知りませんでした!
2022年05月11日(水)
ありがとうございます😊
【勝】の御朱印は弁慶堂にある売店でいただけました🎶
本堂以外は御朱印をいただくと言うより、購入するイメージですね😅
2022年05月11日(水)
奥様が教えてくれたんですね♡
私も今年は憧れの中尊寺に行きたいと思っています。のぶさんのお陰で慌てず、ゆっくりもれなく巡れそうです。
2022年05月15日(日)
memeさん、おはようございます😊中尊寺では不思議な体験を他にもしました。寺社には不思議な力があるんだと改めて実感できました。
少しでもお役に立てれば幸いです、memeさんの中尊寺の投稿楽しみにしてます♪
2022年05月15日(日)
投稿者のプロフィール
のぶさん1576投稿
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