しょうぼうじ|曹洞宗
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
その他の巡礼の情報
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かつては永平寺、總持寺と並び曹洞宗の三大本山だったそうです。知らなかった、、
伊達藩の格別の待遇を受け、今も東北地方の重要な寺院となっているそうです。
国の重文の庫裡の茅葺の屋根の大きさに圧倒されました。
またちょうど午後のお務めの時間で、それに参加させて頂くことが出来ました。僧侶の無駄のない所作を間近に見れて感激です。
惣門前に駐車場があります。
正法寺の四つの重文
惣門
前の石段のひとつひとつが大きいんです。
綺麗に整っていない分、侘び寂び感があります。
少し上がると
正面に法堂が構えてます。
ちょうど午後のお務めの時間で、見学することが出来ました。
目の前で僧侶が動く度に袈裟の擦れる音が聞こえます。無駄のない所作が、美しい。
法堂前は広場のようですが、かつては山門や仏殿がありました。
右側は庫裡
茅葺の大きな庫裡
こちらから拝観料500円を払い、法殿まで行きます。
途中にはお香等が置いてある休憩スペースがあります。
法殿の奥から開山堂に行けます。
開山堂から見た外の様子
鐘楼堂
お接待
岩手県奥州市水沢に境内を構える、大梅拈華山正法寺、国指定重要文化財の施設拝観、茅葺き屋根の歴史的建造物、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、色々と引用を用いて調べて見ました、山号は大梅拈華山(だいばいねんげざん)寺号、院号は正法寺、宗派は曹洞宗、ご本尊は如意輪観音、北國八十八ヵ所霊場、第八十五番札所、かつては大本山の永平寺、總持寺に次ぐ第三本山と呼ばれた。1990年(平成2年)9月11日には、本堂などが国の重要文化財に指定された。正法寺は、永平寺、總持寺と並んで東北地方における「第三の本山」の格式を得ました。その勢力は東北地方を中心に関東関西にまで広がり、東北地方の宗教、文化の形成に大きな役割を果たしてきました。末寺の数は往事、508ヵ寺とも1200ヵ寺とも記されておりました。「第三の本山」の格式は江戸初期に幕府の政策によって失われましたが、由緒ある古寺として仙臺伊達藩から寺領や建物の寄進等で別格の待遇を受けておりました。現在も73ヵ寺の末寺を有し、宗門において特別の格式を保持する古刹として広く知られている、語り継がれてきた七つの不思議な言い伝えでも有名な寺、歴史的建造物、仏閣、仏像、神社巡り、パワースポット、拝観、散策、絶景、四季の景色撮影、日本庭園、世界遺産平泉、岩手県観光、北國八十八ヵ所霊場巡り、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
秋の紅葉時期
北國八十八ヶ所霊場、第八十五番札所
2022.12.25.冬
大梅拈華山正法寺は岩手県奥州市水沢区黒石町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。正法寺の創建は南北時代の貞和4年(1348)に無底良韶禅師によって黒石寺奥の院として開創しました。
無底良韶禅師は能登出身の曹洞宗の高僧で、永光寺(石川県羽咋市)の明峰素哲の下で出家し、総持寺(石川県輪島市※当時の總持寺祖院)の峨山韶碩に師事すると峨山二十五哲の筆頭として名を馳せ曹洞宗の開祖道元から連綿と引き継がれている「僧伽梨」を授けられています。
康安元年(1361)に無底良韶禅師が死去すると、徳の高い門弟が育てられなかった事から、弟弟子で同じく峨山二十五哲に名を連ねた月泉良印が正法寺2世を就任しています。月泉良印は補陀寺(秋田県秋田市)を開くなど正法寺3世(持住に就任する前に死去)となった道叟道愛と共に東北地方での曹洞宗の布教に尽力しています。
正法寺は東北地方の曹洞宗の中心的存在で、当時は永平寺(福井県永平寺町)や総持寺と同格の奥羽二州の本山の格式を持っていて、末寺は508カ寺とも1200カ寺とも言われていました。
江戸時代初期の元和元年(1615)、仙台藩(藩庁:仙台城)は正法寺の本寺としての格を無くしますが、寺領を75石与えるなど庇護し、火災によって失われた堂宇の再建も藩費を投じて行われました。正法寺は現在でも73カ寺の末寺を持ち、全国で25箇所しかないという僧堂があり日々厳しい修行が行われています。
正法寺本堂は日本最大の茅葺屋根を持ち国指定重要文化財に指定され、文化4年(1807)に建立された庫裏も同様に指定されています。
正法寺最古の建物である総門は寛文5年(1665)に建てられ同じく国重要文化財、庫裏に付属する鐘楼と御堂建築の遺構である開山堂は奥州市指定有形文化財となっています。
又、正法寺の本尊である「如意輪観世音菩薩坐像」は鎌倉時代後期の寄木造りで岩手県指定文化財として1年に1度10月16日熊野大権現大祭の際に御開帳されます。
名称 | 正法寺 |
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読み方 | しょうぼうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0197-26-4041 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://shoboji.net/ |
SNS |
詳細情報
ご本尊 | 円通大士如意輪観世音菩薩 |
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宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
ご由緒 | 1348年(貞和4年)、無底良韶(むていりょうしょう)は、天台宗の古刹として知られた黒石寺奥の院に曹洞禅の道場を建てた。これが東北地方初の曹洞宗寺院、正法寺の始まりである。 無底は、これに先立つ1342年(康永元年)に師である峨山韶碩(がさんじょうせき)から、開祖道元が中国から持ち帰ってきた袈裟「僧伽梨(そうかり)」を授けられている。これは、道元から峨山まで、連綿と伝承されてきたものであって、これを授けるということは峨山門派を無底良韶が継承することを示唆していた。正法寺が開創されて2年後の1350年(観応元年)に崇光天皇が、「出羽奥州両国における曹洞の第三の本寺」として、住職に紫衣の着用が許された。
東北地方に曹洞宗の拠点ができたことによって、布教は進み、月泉良印は「月泉四十四資」といわれる弟子を輩出することとなる。岩手県南部や宮城県を中心に次々に末寺が開かれることとなり、その数は508とも1200とも言われた。出羽国出身の道叟道愛(どうそうどうあい)は、兄弟子にあたる無底・月泉を補佐し、月泉に先立って世を去ったが、正法寺の経済基盤を確立するなどその功績は大きく、正法寺第3世として崇敬されている。 1615年(元和元年)の幕府法度により、本寺の格を失い、現在は72の末寺を持つのみである。 正法寺は火災が多く、1444年(文安元年)から1799年(寛政11年)までの6回を記録している。1799年の最後の火事は、月泉良印の400回忌の当日に庫裏から出火したもので、惣門、土蔵、宝蔵を残すのみでほぼ全焼してしまった。このときは、仙台藩の庇護を受けていて、復興は仙台藩が行うことになっていたが、藩側も財政がひっ迫しており、50年経って、本堂と庫裏は再建された。仙台藩は、スポンサーのような存在だったらしく、藩が関わったものには、藩の家紋が随所に入れられている。しかし、仏殿と山門は修理されず今日に至る |
Wikipediaからの引用
概要 | 正法寺(しょうぼうじ)は、岩手県奥州市水沢黒石町にある曹洞宗の寺院。山号は大梅拈華山(だいばいねんげざん)。本尊は如意輪観音。かつては大本山の永平寺、總持寺に次ぐ第三本山と呼ばれた。1990年(平成2年)9月11日には、本堂などが国の重要文化財に指定された。 |
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歴史 | 歴史[編集] 曹洞宗第三の本寺としての隆盛と衰退[編集] 1348年(貞和4年)、無底良韶(むていりょうしょう)は、天台宗の古刹として知られた黒石寺奥の院に曹洞禅の道場を建てた。これが東北地方初の曹洞宗寺院、正法寺の始まりである。 無底は、これに先立つ1342年(康永元年)に師である峨山韶碩(がさんじょうせき)から、開祖道元が中国から持ち帰ってきた袈裟「僧伽梨(そうかり)」を授けられている。これは、道元から峨山まで、連綿と伝承されてきたものであって、これを授けるということは峨山門派を無底良韶が継承することを示唆していた。正法寺が開創されて2年後の1350年(観応元年)に崇光天皇が、「出...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「正法寺 (奥州市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA%20%28%E5%A5%A5%E5%B7%9E%E5%B8%82%29&oldid=99106120 |
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