御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

歴史

人皇73代堀河天皇の長治年間(AD1104-1106)、奥羽両国の夷賊が猖獗を極め、加うるに悪疫流行して領内の衆民大いに苦患に悩み、鎮守府将軍藤原清衡これを憂い、紀州那智山熊野大権現に祈願せしに著しき霊験ありて忽ち賊徒を定め領内静謐に帰せるを以て、深く御祖徳の広大なるを感謝し報賽として領内に祠堂を建立し熊野大権現を勧請せんとせしが事成らずして没する
その子基衡が父の志を継ぎこの地を卜し、社殿を創建し御分霊を安置して熊野三社大権現と崇称し、国家鎮護の祈願所とする。その後火の災い、水の害頻々として至り堂宇概ね荒廃流失し、僅かに本殿一宇を残存せり
 後世に至り領主葛西晴信信篤く御神徳を崇仰し、社殿の大修理を加え祭祀を再興して昔日の面目を復す
 当神社は初め熊野三社大権現と称し、他に三カ所に分祠せられたのであるが、明治の初年藩庁治世の際二カ所を本宮に合祀し、更に権現号を廃して熊野神社と改称せり
 明治7年(AD1874)村社に列せられ、同8年(AD1875)中里村・前堀村が併合して中里村となる。

歴史をもっと見る|
1

熊野神社の基本情報

住所

岩手県一関市中里字荒谷79番地

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

熊野神社

読み方

くまのじんじゃ

通称

くまのさん

詳細情報

ご祭神《主》伊弉那岐命,伊弉那美命,早玉男命,事解命,須佐之男命
ご由緒

人皇73代堀河天皇の長治年間(AD1104-1106)、奥羽両国の夷賊が猖獗を極め、加うるに悪疫流行して領内の衆民大いに苦患に悩み、鎮守府将軍藤原清衡これを憂い、紀州那智山熊野大権現に祈願せしに著しき霊験ありて忽ち賊徒を定め領内静謐に帰せるを以て、深く御祖徳の広大なるを感謝し報賽として領内に祠堂を建立し熊野大権現を勧請せんとせしが事成らずして没する
その子基衡が父の志を継ぎこの地を卜し、社殿を創建し御分霊を安置して熊野三社大権現と崇称し、国家鎮護の祈願所とする。その後火の災い、水の害頻々として至り堂宇概ね荒廃流失し、僅かに本殿一宇を残存せり
 後世に至り領主葛西晴信信篤く御神徳を崇仰し、社殿の大修理を加え祭祀を再興して昔日の面目を復す
 当神社は初め熊野三社大権現と称し、他に三カ所に分祠せられたのであるが、明治の初年藩庁治世の際二カ所を本宮に合祀し、更に権現号を廃して熊野神社と改称せり
 明治7年(AD1874)村社に列せられ、同8年(AD1875)中里村・前堀村が併合して中里村となる。

「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ