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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年8月※蟠龍寺ではいただけません

ばんりゅうじ|曹洞宗和融山

蟠龍寺

岩手県 古館駅

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019-676-2366

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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

当國三十三観音札所7番 十一面観音菩薩

蟠龍寺について

こちらのお寺で暮らしていたゴールデンレトリバーのもも子はごみ拾い犬として有名で、全国放送でも取り上げられました。
亡くなる前日までごみを拾い続けましたが、平成18年11月12日(13才5ヶ月)、その生涯を閉じました。

おすすめの投稿

フジクミ
2020年10月12日(月)
223投稿

前々から看板を見て気になってたお寺さんです(´∀`)
あまり時間が無かったんだけど、たまたま近くまで来たので寄ってみると
当国三十三観音札所7番の観音堂がありまして(´ー`)ヨバレタカナ·····✨

ご挨拶したいなぁと思い、ウロチョロしてたらボウズ頭の爽やかイケメンが·····←(失礼か笑)
なんと、副住職さんで(たぶん笑)
お堂の中におじゃますることができました(*^^*)
色々お話しをして、ずっと謎だった穴の空いた石の意味を知り、モヤモヤが晴れました😁
写真、撮らなくて大丈夫ですか?とおっしゃってくださったので控えめに撮らせていただきました笑
時間が迫っていたのでお寺を出ましたが、またおじゃましたいと思いました( * ॑꒳ ॑* )♪

ゴミ拾い犬として全国区で有名になったもも子が暮らしていたお寺さんです✨
今度はお墓にも挨拶しにいこう( *´꒳`*)

ペット供養もやってるとのことです✨

蟠龍寺の本殿

不動明王、観世音のカッコイイ扁額✨

蟠龍寺の建物その他

7番(´∀`)

蟠龍寺の本殿

写仏天井絵(´∀`)
檀信徒さん48名が描いた作品
上手すぎる

蟠龍寺(岩手県)

中央に十一面観音様
右に八耳聴聖徳太子の像
慈覚大師が陸奥巡錫の途中立寄り参籠して尊像を彫ったと伝えられているそうです
見切れちゃってる聖徳太子像ですが裏側から目を入れる技法でスゴいリアルなんですよ(*°▽°*)

蟠龍寺の建物その他

穴の空いた石達(⊙_⊙)
耳を患う病霊験があると信仰されていたらしい
あと、穴石を奉納するとボケないらしいです😁

蟠龍寺の建物その他

穴石の説明書き

蟠龍寺の歴史
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歴史

承和元年(834)に、もと高水寺第五代の伝法子法宥阿闍梨が祝融山(後改めて和融山と称す)をこの地に創立、文治の頃(1185~1190)兵火に遭い荒廃しました。

承応3年(1654)川東の紫波町栃内の江岸寺第二世伝達和尚が北上川を渡船の折り、雪解けの大水で流されて、とどが淵といわれるところの渦に巻き込まれてしまいました。
このとどが淵というところは五内川等が北上川に注ぐところで、大水がでると龍が蜷局(とぐろ)を巻いたような渦巻きの淵となり、とどが淵といわれて恐れられていました。

一日半も木の葉のように回り流されて、誰も助けることが出来ません。
その夜中のこと、一人の老人が現れて「難渋してさぞや生きた心地がしなかたっでしょう」と、  藤蔓(ふじつる)をさしのべて「さあ、この蔓にしっかりとすがりなされ」というが早いか不思議にするすると蔓がのびて和尚に巻き付きました。

老人のさしのべてくれた蔓につかまって命拾いした和尚はお礼を申し上げようとすると、その老人はさっさと藪の中に入ってしまい、その後を追ったが見失ってしまいました。

心を落ち着け辺りを見回すと藤蔓に囲まれ朽ち果てた小さな社(やしろ)があり、その中に先ほどの老人に似た木像があり、額には「土倉稲荷明神」とありました。

伝達和尚は稲荷明神のご加護によって助けられたこの地に蟠龍寺を建立し、その守護神として社宇を築き祭祀をなしました。

なお、蟠龍というのはとぐろを巻いた龍を意味するところから、当寺の名は、とどが淵の渦巻きが龍がとぐろを巻いた如く見えたことに由来していると思われます。

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蟠龍寺の基本情報

住所岩手県紫波郡紫波町高水寺向畑97
行き方
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名称蟠龍寺
読み方ばんりゅうじ
トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号019-676-2366
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.banryuji.com/

詳細情報

ご本尊南無釈迦牟尼仏
千枚苞巻観音
山号和融山
宗旨・宗派曹洞宗
札所など

当國三十三観音札所7番 十一面観音菩薩

ご由緒

承和元年(834)に、もと高水寺第五代の伝法子法宥阿闍梨が祝融山(後改めて和融山と称す)をこの地に創立、文治の頃(1185~1190)兵火に遭い荒廃しました。

承応3年(1654)川東の紫波町栃内の江岸寺第二世伝達和尚が北上川を渡船の折り、雪解けの大水で流されて、とどが淵といわれるところの渦に巻き込まれてしまいました。
このとどが淵というところは五内川等が北上川に注ぐところで、大水がでると龍が蜷局(とぐろ)を巻いたような渦巻きの淵となり、とどが淵といわれて恐れられていました。

一日半も木の葉のように回り流されて、誰も助けることが出来ません。
その夜中のこと、一人の老人が現れて「難渋してさぞや生きた心地がしなかたっでしょう」と、  藤蔓(ふじつる)をさしのべて「さあ、この蔓にしっかりとすがりなされ」というが早いか不思議にするすると蔓がのびて和尚に巻き付きました。

老人のさしのべてくれた蔓につかまって命拾いした和尚はお礼を申し上げようとすると、その老人はさっさと藪の中に入ってしまい、その後を追ったが見失ってしまいました。

心を落ち着け辺りを見回すと藤蔓に囲まれ朽ち果てた小さな社(やしろ)があり、その中に先ほどの老人に似た木像があり、額には「土倉稲荷明神」とありました。

伝達和尚は稲荷明神のご加護によって助けられたこの地に蟠龍寺を建立し、その守護神として社宇を築き祭祀をなしました。

なお、蟠龍というのはとぐろを巻いた龍を意味するところから、当寺の名は、とどが淵の渦巻きが龍がとぐろを巻いた如く見えたことに由来していると思われます。

体験札所・七福神巡り

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