しかりわけじんじゃ
志賀理和氣神社のお参りの記録一覧
参拝と御朱印拝受する為に伺いました
新嘗祭の後か何かわからないが、祈祷する人が多いような
今月の御朱印いただきました🙏
月替わり御朱印
直書き
月替わり切り絵御朱印
今月の御朱印を拝受するため訪問
参拝は全部に🙏
今月の御朱印をお願いしたところに、御鎮座1220年特別ご朱印(秋麗)が見えてしまい同時に拝受
また裏紙に小細工あり
素敵すぎる😊
この御朱印は大鳥居の再建にあてるもよう
その他に寄付するか迷い中🧐
御鎮座1220年特別ご朱印(秋麗)の案内
月替わり御朱印
直書き
月替わり切り絵御朱印
御鎮座1220年特別ご朱印(秋麗)
切り絵御朱印
御鎮座1220年特別ご朱印(秋麗)の裏紙の裏
これも可愛い
1200年の歴史と最北の延喜式内社ということでお参りしてきました。
神社の方々は大変親切で気持ちよくお参りが出来ました。
御朱印
神社らしいオシャレなトイレの案内でした。
例大祭の御朱印が欲しくて伺いました。
祭り期間とのことで、直書きの御朱印は休みでした。
なので後日伺う事に
普段見れない神輿を見れたのが嬉しい☺️
神輿
神輿 二基め
二基もあるのか
例大祭の切り絵御朱印
例大祭の切り絵御朱印
光に透かすと裏紙からと重なり良い感じ😊
月替わり切り絵御朱印
森の再生のためのクラウドファンディングにて、ささやかなから支援させていただき、返礼品として素敵な切り絵の御朱印をいただきました。
早速6/30に1回目の植樹が行われたということで、その証明書が入っていました。
私は学生時代に森や植物園で過ごすことで精神的に救われていた時期があります。
森の中の神社によく行っていたのも懐かしいです。
人々の生活の一部となる森が再生されることを願っています。
植樹も木の管理も本当に大変な作業です。
管理が終わることは永遠にありません。
そして、森が破壊されるのは一瞬です。
岩手県というとなかなか私には足を運ぶことが難しいのですが、いずれ行く機会があれば、少しでも育った樹木を見ることができればいいなと思います。
公式アカウントさんからのこちらの御朱印のご説明は下記ページにあります。
【限定御朱印】【完成】鎮守の杜再生プロジェクト限定切り絵御朱印「千年の森をもう一度」【7月1日〜 志賀理和氣神社(岩手県)】|ホトカミ https://hotokami.jp/area/iwate/Htrtk/Htrtktr/Dstyy/108599/446908/
【陸奥國 式内社巡り】
志賀理和氣神社(しがりわけ/しかりわけ~)は、岩手県紫波郡紫波町桜町本町川原にある神社。式内社。旧社格は県社。祭神は経津主神、武甕槌神、大己貴神、少彦名神、保食神、猿田彦神、船霊神。別称は「赤石神社」、「浮島明神」。式内社で最北に位置することで知られる。
社伝によると、平安時代初期の804年に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)と武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まる。当時は志波城造営(803年)、斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでいた時期で、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のために創建されたと見られている。国史の初見は『日本文徳天皇実録』852年条に神階昇叙の記載があり、それ以前から神階を有する官社であったとされる。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「陸奥國 斯波郡 志賀理和氣神社小」に比定されている。それ以降は史料はないが相当荒廃していたようで、近世になり赤石を神体としたことに由来し「赤石大明神」と呼ばれていた。江戸時代中期には式内社の由緒を復活し、社殿も再建されるとともに、盛岡藩主の南部氏からも崇敬され、「南部一の宮」の号を献じられたという。明治に入り、近代社格制度のもと郷社に列し、のちに県社に昇格した。
当社は、JR東北本線・紫波中央駅の南東1.4kmの北上川西岸、平地の住宅街にある。元々は境内西端の公道沿いに鳥居と社号標があって、長い参道を進んだのち、左手に大きな境内が広がるという造り。ただ、参拝時は一時的に社殿等の移転工事中で、入口には鳥居も社号標も狛犬もなく、奥に入って行ってやっと真新しい大きな社殿と社務所に辿り着く状態になっている。宮司さんのお話だと、国有地との換地を行っている最中とのこと。このこともあり、日本最北の式内社ではあるが、古社らしい雰囲気は感じられなかった。
今回は、陸奥国の式内社、岩手県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、近所のご老人が小さいこと散歩をしていたが、自分以外には参拝者はいなかった。
境内西端入口の<看板>。ここから参道を奥(写真右上)に進んで行く。
元々はここに鳥居と狛犬、社号標があったことがGoogle Mapでも確認できる。
参道をしばらく進むと、左手が開けて来て、大きく真新しい社務所と社殿が見えてくる。
ちなみに参道をまっすぐ行った場所はこんな感じ。宮司さんによると、以前はこの奥に社殿があったとのこと。
社務所前にある、真新しいが伝統的な様式の<手水舎>。
<社殿>遠景。非常に広い境内。
<拝殿>全景。見た目も真新しい。近づくと檜(かな?)の香りがする。
<拝殿>正面。「志賀理和氣神社」と書かれた扁額も真新しい。
社殿左側から、<社殿>全景。
社殿の左手にある境内社群。写真左手から順に見て廻る。
こちらは<赤石天満宮>。鳥居の扁額には「学問の宮」とある。
赤石天満宮の左手にある<小野藤稲荷神社>。ただ、右側の社号標には「坂下稲荷神社」、左側の社号標には「藤稲荷神社」(?)と違う社名が刻まれている。
稲荷神社の左隣にある<薬師神社>。
薬師神社の左隣にある<縁結神社>。
社殿の右手にある、新しく大きな社務所。社殿とは渡り廊下で繋がっている。御朱印はこちら。
最後に<社殿>全景。古社らしくはないが、真新しくて気持ちが良い。
写真右側に小さく映っている赤い岩が、当社の別称「赤石神社」の由来となっている。(^▽^)/
昨年末大みそかに参拝させていただきました。
志賀理和気神社は岩手県紫波郡紫波町にある神社で、坂上田村麻呂が東北開拓の守護神として延暦23年(804)に創建、「貞観式」や「延喜式」にも記載される古社です。その後源義家が社殿を建立、斯波氏・南部氏らも尊崇、斯波孫三郎詮は、川底にある赤石を見て、斯波郡を紫波郡と改めたと伝えられます。
社殿は、北上川の堤防工事のために移転したとのことで、出来たばかりでピッカピカの神社です。
以前と違って周りに巨木が全くないので、明るくて開けていてとても不思議な感じでもあります。
ありがとうございました。
ピッカピカです。
ホント素敵です。
赤石天満宮です。
周りに木がないので開放的です。
小野藤稲荷神社です。
こちらも開放的な雰囲気です。
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