いわてごこくじんじゃ
始まりは、明治2年、当時の県知事である南部利恭によって、岩手郡東中野村茶畑(現在の盛岡市内)に社殿が建てられたことによります。そのときお祭りしたのが、明治維新のときに国のために働いて亡くなられた勤王の志士である目時と中島の2柱です。その後、戊辰・西南の役、日清・日露、第一次世界大戦、大東亜戦争にいたる多くの戦争において戦没されたおよそ35,800柱の英霊をお祭りしています。 明治39年盛岡八幡宮境内に移され、昭和14年に「岩手護國神社」と改称しました。
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