もりおかてんまんぐう
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楽しみ方盛岡天満宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月04日(月) 15時48分30秒
参拝:2025年8月吉日
駐車場に入れるためには細い道を上がらなくてはいけないため、大きな車だと難しいかもしれません。今回、トヨタのアクアを借りたのでちょっと不安でしたが何とか辿り着けました。車体に傷がついてないか、真っ先に確認。石川啄木の散歩コースだった神社で、境内のそこここに啄木の歌碑があります。こちらの神社は宮司様は常駐せず、盛岡菅公会という氏子団体が日常の管理をされています。御朱印を揮毫していただいた方も氏子さんだったのかな~?鎮座地は天神山と呼ばれる小高い丘で、室町時代の守護大名・斯波氏の居城と考えられている花垣館跡です。
盛岡城が落成時は家臣の三上氏の居館になっていたそうです。
盛岡城が落成時は家臣の三上氏の居館になっていたそうです。

紀元二千五百六十五年(明治三十五年、1902)奉納の鳥居



由緒書

明治三十五年(1902)建立の菅廟植梅記碑

延宝四年(1676)建立の融通念仏碑

弘化三年(1846)建立の小野素郷句碑


享和三年(1804)建立の筆塚

明和五年(1768)建立の芭蕉塚 「古池や蛙とびこむ水の音」 、石柱の台座は石蛙

明治三十五年(1902)奉納の燈籠


境内からの眺望

明治三十五年(1902)奉納の二の鳥居


銭湧石・石割梅


明治三十五年(1902)建立の神楽殿

眷属の狐


台座は啄木歌碑


境内社鳥居


境内社 平安稲荷社


明治三十五年(1902)奉納の燈籠

明治三十六年(1903)高畑源次郎奉納の狛犬 啄木の小説「葬列」の中で、「俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるのか東にあるか知らないのだ、と云つた様な顔だ。」と表現されています

元は台座石はなく、昭和五年(1930)台座石を付けました


明治三十五年(1902)奉納の撫牛


明治三十五年(1902)奉納の燈籠


安倍晋三元総理揮毫の社号標

手水鉢



拝殿

扁額

幣殿

寛政二年(1790)造営の本殿

鹿島明神祠

すてき
投稿者のプロフィール

サンダー2312投稿
2020年2月に九州旅行の折に熊本城へ行き、復興のつもりで始めました。そんな中、コロナウィルスが流行し100日参りをして病気平癒を願って参拝していましたが、さすがに外出できず途中で断念。 落ち...もっと読む
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