かみねじんじゃ
神峰神社茨城県 日立駅
授与所/10:00〜17:00
祈祷/10:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 境内 15台ほど |
熊野櫲樟日命(クマノクスヒノミコト)の限定御朱印を頂きました。この神はアマテラスがスサノオとの誓約で生まれた神様ですが、今まで意識していませんでしたが、神峰神社では、イザナギ・イザナミと3柱が主祭神です。
七五三シーズンなので、このデザインなんでしょうね。たくさんのご家族が和装の子供を連れて来ていました。微笑ましいですね。
裏参道
手水屋の上に、「心洗」
裏参道の鳥居と駐車場の案内
1月1日 元旦祭
2月3日 追儺祭
5月10日 例祭(宵祭り)
6月30日 夏越の大祓
6月前後 人形慰霊祭
11月頃〜 七五三
4、5、7、9月 お山登り
毎月1日、15日 月次祭
7年毎 5月3〜5日 大祭禮
神峰神社は称光天皇の御代、正長元年(1428)に宮田村字山王(神峰山山頂)へ遷座し、宮田村の鎮守となった歴史ある神社です。
しかし参拝が困難だったため、後奈良天皇の御代天文23年(1554)に神峰山中腹の鬼ヶ洗水(現地不詳)へ遷座しました。
その後、疫病が流行したことから東山天皇の御代元禄元年(1688)、より霊験あらたかな神峰山頂に遷座し、つづいて稲荷の森(当地)に遥拝殿を造営しました。
元禄8年(1695)徳川光圀に宮田・助川・会瀬の三ヶ村の総鎮守に命じられ、大祭禮には宮田浜の宮・助川を経て会瀬までの渡御の例を定められました。
この時より今の『大祭禮』が始まったのです。
明治4年には神社の旧社格である、郷社にその名を連ねました。
昭和20年に戦災により焼失してしまいましたが、同32年再建され、平成2年には御大典を記念し改築、現在に至ります。
名称 | 神峰神社 |
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読み方 | かみねじんじゃ |
参拝時間 | 授与所/10:00〜17:00
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0294‐21‐0609 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://kaminezinzya.org/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
神玉巡拝 常陸國多賀郡神玉巡拝 |
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ご祭神 | 《主》伊邪那岐命,伊邪那美命,熊野樟日命 |
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本殿 | 権現造 |
ご由緒 | 神峰神社は称光天皇の御代、正長元年(1428)に宮田村字山王(神峰山山頂)へ遷座し、宮田村の鎮守となった歴史ある神社です。
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体験 | 祈祷お祓いお宮参り結婚式七五三お守り祭り札所・七福神巡り |
概要 | 神峰神社(かみねじんじゃ)は、茨城県日立市宮田町にある神社。旧社格は郷社。当神社の大祭では大型の山車を用いた人形芝居が奉納される。この山車及び行事を日立風流物といい、山車が国の重要有形民俗文化財に、神事としての日立風流物が重要無形民俗文化財に、それぞれ指定されている。また、この行事はユネスコの無形文化遺産に登録されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建は不詳。伝承では室町時代には神峰山山頂にまつられていたとされる。 その後、1428年に宮田村字山王に、1554年に神峰山中腹の鬼ヶ洗水という場所に遷座されたが、1688年に再度山頂に遷座された。この際、郷から遠い山頂では参拝に不便として現在の拝殿がある場所に里宮が造営された。 1695年に時の水戸藩主、徳川光圀の命により、宮田、会瀬、助川の総鎮守となり、大祭礼には宮田浜の宮・助川を経て会瀬まで渡御することが定められた。1871年に郷社に列せられた。 |
行事 | 祭事[編集] 元旦祭(1月1日) 追儺祭(節分の日) 例祭(5月10日) 月次祭(毎月1日、15日) 大祭禮(7年毎。5月3日-5日) |
引用元情報 | 「神峰神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E5%B3%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99941247 |
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