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かみねじんじゃ

神峰神社の御由緒・歴史
茨城県 日立駅

ご祭神《主》伊邪那岐命,伊邪那美命,熊野樟日命
ご由緒

神峰神社は称光天皇の御代、正長元年(1428)に宮田村字山王(神峰山山頂)へ遷座し、宮田村の鎮守となった歴史ある神社です。
しかし参拝が困難だったため、後奈良天皇の御代天文23年(1554)に神峰山中腹の鬼ヶ洗水(現地不詳)へ遷座しました。
その後、疫病が流行したことから東山天皇の御代元禄元年(1688)、より霊験あらたかな神峰山頂に遷座し、つづいて稲荷の森(当地)に遥拝殿を造営しました。
元禄8年(1695)徳川光圀に宮田・助川・会瀬の三ヶ村の総鎮守に命じられ、大祭禮には宮田浜の宮・助川を経て会瀬までの渡御の例を定められました。
この時より今の『大祭禮』が始まったのです。
明治4年には神社の旧社格である、郷社にその名を連ねました。
昭和20年に戦災により焼失してしまいましたが、同32年再建され、平成2年には御大典を記念し改築、現在に至ります。

歴史
歴史[編集] 創建は不詳。伝承では室町時代には神峰山山頂にまつられていたとされる。 その後、1428年に宮田村字山王に、1554年に神峰山中腹の鬼ヶ洗水という場所に遷座されたが、1688年に再度山頂に遷座された。この際、郷から遠い山頂では参拝に不便として現在の拝殿がある場所に里宮が造営された。 1695年に時の水戸藩主、徳川光圀の命により、宮田、会瀬、助川の総鎮守となり、大祭礼には宮田浜の宮・助川を経て会瀬まで渡御することが定められた。1871年に郷社に列せられた。
引用元情報神峰神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E5%B3%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=87437589

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