ほうぞうじ|浄土宗|羽生山
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駐車場 | 境内にあり |
法蔵寺について
怪談 累ヶ淵の舞台
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本当に失礼ながら、見た目は貧乏寺?って思いました。お参りし、御住職のお人柄に触れると、心に重く残るお寺でした。
文禄元年(1592)開基されました。
「累」(かさね)の菩提寺として全国的に知られているそうです。が、あたしは知らない😓
調べてみると、悲しい悲しい累一族の実話が出てきました。
山門
山門をすぎるとお地蔵様がならんでいます。
悲しい累の物語です。江戸時代慶長17年(1612)から寛文12年(1672)60年に渡り繰り広げられた親が子を、夫が妻を殺害する陰惨な出来事。実話です。最終的に死霊が取り憑いた菊を祐天上人が念仏の法力を持って解脱したと言う。
累一族の墓
本堂
祐天上人直筆名号の御朱印
ちょっと安楽寺にいらん寄り道をしてしまいましたが(^^;累ヶ淵伝説の羽生山法蔵寺に着きました。
鬼怒川河畔にある実際の累ヶ淵はやや離れてて見れなかったのですが、累一族のお墓に墓参。
ご覧のように本堂は立派ですが、怪談の舞台らしく境内はやや裏寂れた感じがあり堂宇の配置などがややカオス的。
そのため実際の寺域はもちょっと広かったようなんですが、境界がわからず祐天上人の墓所などいくつか見逃してしまったものもあり(>_<)
有名な怪談の舞台ということでやはり心霊スポット視されてるようで、その手のサイトや動画でよく取り上げられてるw なんとあの宜保愛子さんも来たことあり!Σ(゚Д゚;)
しかし・・・累と助の霊は祐天上人の法力によって解脱してるハズなので、ここを心霊スポット視するってことは祐天上人を真っ向から否定してることにもなるんですが(^^;
(サイトによっては「それでもまだ怨念が残ってる!」とか主張してるところもあったがw)
ちなみに宜保さんは「あそこが気持ち悪い」とか何かそれっぽいことだけ言って、賢明にも累や助の霊そのものを霊視することは避けてた気がするw
まぁ累や助の怨念がまだ残ってるかはともかくとして、一つ前の安楽寺にお墓のあった人柱の犠牲になったお伽羅さん、
考えてみればあの子が投げ込まれたのも累ヶ淵のすぐ上流なので、鬼怒川のこの辺りが陰惨な土地であるのは間違いないようです。
・・・ひょっとして、累に比べてあまり知られてないお伽羅さんに「私のことも忘れないで・・・(|||´Д`)」とか呼ばれた?((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
御朱印は二種類
こちらは祐天上人が累と助の怨霊を解脱させるために使った経文
呪文めいた独特の書体がいかにもって感じでイイ☆
もう一つは本尊の御朱印
ちなみにここから御朱印相場が300円台に戻りお財布に優しくなりましたw
山門
山門を入ってすぐ、いきなりこの累一族の墓がありますΣ(゚д゚;)
累一族の墓所内部
なぜか数回アップに失敗した・・・((( ;゚Д゚)))
累と助の物語
ここ宜保愛子さんも来たことあるんだよね(^^;
背景にこのお堂らしきものが映ってた
動画を探してみましたが残念ながら見つからず
この地蔵堂はGoogle Map上では北向地蔵尊となっていたのですがお寺のパンフにも由緒等は書かれておらず
どうも累の伝承が有名すぎるため、他の伝承は埋もれてしまってる様子(^^;
横の小さいお堂の方が北向地蔵尊かと勘違いしてこちらを重点的に撮影してしまいました(^^;
しかし中には非常に和む表情のお地蔵が(*´∀`*)
陰惨な伝説の残るお寺でなんだかちょっと救われたような気がした♪
本堂
このお寺に来たらぜひ聴きたいのが人間椅子の夜叉ヶ池♪
https://youtu.be/rWT1Pwl7yiM
累ヶ淵にもちょっとだけ触れられてますw
お寺でいただいたパンフに載ってた「累曼荼羅」の一部
曼荼羅となってますが実際は事の顛末を描いた絵巻物らしい
祐天上人の怨霊鎮めの場面
おそらく左が累で、奥の童子が助かな?
歴史
文禄元年(1592年)、弘経寺9世天機上人の弟子・西譽哲山上人が開基。
戦国時代は豊臣氏家臣の羽生氏の居館跡で、羽生一族滅亡後に堂宇を建てて供養をしたのが始まりと伝わる。
【怪談 累ヶ淵】
累の物語は、江戸時代初期の慶長17年(1612)から寛文12年(1672)までの60年にわたって繰り広げられた、親が子を、夫が妻を殺害するにいたる陰惨な出来事である。
羽生村の百姓、与右衛門の後妻すぎは、夫との不仲を恐れ、その醜く生まれついた助という連れ子の男子を殺してしまう。
その後に生まれた累は助に生き写しであったため、いつしか「かさね」と呼ばれるようになった。
心優しい娘に成長した累は、旅に病む他国者を助け婿に迎えるが、やがてその醜さゆえに疎まれるようになり、二代目与右衛門を名乗るようになった夫に鬼怒川で殺害されてしまう。
しかしその後、与右衛門には不幸が続き、そして死霊が後妻との間に生まれた娘 菊にとりつき苦しめたため、飯沼弘経寺にいた祐天上人が念仏の法力を持ってこれを解脱したという実話に基づく物語である。
名称 | 法蔵寺 |
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読み方 | ほうぞうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0297-24-2114 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.houzouji.or.jp/ |
詳細情報
ご本尊 | 《本尊》阿弥陀如来 《脇》祐天上人、累・菊・助の木像 《堂宇》北向地蔵尊、累一族の墓 |
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山号 | 羽生山 |
院号 | 往生院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 文禄元年(1592年) |
開山・開基 | 西譽哲山上人 |
ご由緒 | 文禄元年(1592年)、弘経寺9世天機上人の弟子・西譽哲山上人が開基。
【怪談 累ヶ淵】
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体験 | 御朱印伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 累ヶ淵(かさねがふち)は、茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名。江戸時代、この地を舞台とした累(るい、かさね)という女性の怨霊とその除霊をめぐる物語は広く流布した。 この物語を題材にとり、四代目鶴屋南北作の『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)をはじめとした累物(かさねもの)と呼ばれる一群の歌舞伎作品がうまれたほか、三遊亭円朝は怪談噺『真景累ヶ淵』を作り上げた。 |
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アクセス | アクセス[編集] 関東鉄道常総線中妻駅から約873mあるいは飯沼バス停下車 |
引用元情報 | 「累ヶ淵」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B4%AF%E3%83%B6%E6%B7%B5&oldid=101691977 |
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