むねとうじんじゃ
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ホトカミユーザーさんの投稿で、お名前は覚えていました😊
日本一早い豆撒きの神社⛩さん✨
そして、前総理 安倍晋三さんのご先祖がお祀りされている!ということも知っていました✨
とても歴史ある神社⛩さんなのですね!
神社振興対策モデル神社⛩さんになっているそうです😊👏✨
色々な御利益のある旗が掲げられています👏✨
茨城県の御朱印集めのポスター‼️✨
ありがとうございます😊
茨城県神社巡り⑤ 宗任神社参拝⛩
下総国結城郡神玉巡拝
御祭神 安倍宗任公(あべむねとうこう)安倍 貞任公(あべさだとうこう)
平安時代後期に陸奥国でおこった 前九年の役(1051~61年)で源頼義の軍勢に敗れた安倍宗任公を祀った神社。
縁起記に天仁2年、安倍氏の臣松本七郎秀則・息八郎秀元が亡君宗任公の神託により旧臣二十余名と共に公着用の青龍の甲胄・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地(旧黒の里)来往して鎮齊した。鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を 行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げる。以来この地は宗道となった。
一の鳥居の前に新しい狛犬さん
二の鳥居から拝殿
御霊神社
御祭神 安倍晋三大人命‼️
神明神社
宗任神社創設前、平将門公が伊勢神宮より勧請したと伝わる。
豊受神社 水神宮
本殿前にかわった狛犬さん
歴史
阿部宗任公死一等を減じて、肥前に流され九州在住四十七年、天仁元年戊子九月九日享年七十八歳にして亡くなる。
松本七郎秀則の夢の中に、宗任公の霊魂妙音を以て告げる、『・・・・是より南尽未来際に鎮衛、有緑の地有り。抑も汝秀則、秀元父子は、是れ則ち我が家臣の末裔なり。且つ将に落葉の諸臣処処に漂泊して、在在に沈没す。其中に於て、稀に我が祖先の恩顧を追憶し、志を一にし、信を凝らす者有り。昔年我が著くる所の青龍と名づけし甲冑、封じて今現に鳥海の古城の石窟に在り。尋ねて探索し出だして各々護持し、以て南方に行くべし』。天仁二年、松本七郎秀則子八郎秀元父子と旧臣(普代郎)二十四名(和泉氏、栗原氏、小田氏、岩瀬氏、高野氏、黒川氏、佐藤氏、村山氏、岩手氏、上山氏、斉藤氏、岩沼氏、山本氏、安積氏)等と共に、宗任公の遺物を奉じ出羽国鳥海山麓を発して、野州二荒山麓にたどりついた。そこで一夜の宿を求めた樵の教える通りであった。一同は魚夫に頼んで、その小舟に乗せてもらい、川を下ることとなった。魚夫は二十八人もの人と沢山の荷物が乗れるかどうか案じたが、不思議にも納まってしまった。舟は水流に乗り、矢のごとく下った。そして、あっと言う間に下野と常陸の国境を過ぎ、下総国に入った。川が湾曲しているところへ来ると、小舟が動かなくなり、一同は宗任公の霊魂だろうと上陸した。田間の道に入ると、道が滑りて歩くことかなわず。奇怪にして恐らく察するに神慮、必ず此の奇事を随わせる。里人と語らいて、その日のうちに一棟の霊祠を造建し、滑田郷と名づけ、滑田明神(下妻市二本紀の香取神社)と号す。尚、一同は東に行く。しばらくすると侘人が持ちし宝器重く動かなくなり、松本氏が代わりに持つが、やはり動かず。それを見ていた旧臣の一人が「松本殿岡の如く動かず」と言い、松岡明神と号す。尚、東南方に三里行く。黒巣郷有り、一同は郷長に頼み宿泊した。するとその夜、秀則の夢の中に、宗任公の霊魂超勝絶妙の音韻を以て親しく告げる、『我、兼て吾が子に示す所の処は、即ち此れ是の境地なり。・・・一基の神祠を祝祭すべし。・・・郷名を改め、是れ自り後来、宗道郷と称すべき者なり。(黒巣の地名を、天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と改めれば、人はすこやか、地は栄えるであろう。)・・・次に、三分の中、鎧一具を以て東南の鯨郷に鎮祭し、鎧明神と号すべきなり。(黒巣郷からみて東南巽は風の暴ら神の住む方向であるから、その暴らき風神を鎮め樹木をまもるため)・・・次に、東に大苑木郷あり、青龍逆角の一分の兜を鎮祭し、甲明神と号すべきなり。(青龍は雷神で雨を齎す農業の神から、東方の大苑木の繁った郷に)・・・』。翌朝、郷長に話語らい、一社を造建して、宗道郷鎮守宗任大明神と尊称す。元永二年晩秋良辰吉日に、神職松本七郎秀則、長男八郎秀元親子、慎み敬いて、宗任大明神の因縁起来由を書き記す。
その後、郷長黒須大学、娘を八郎秀元に嫁がせ、黒須家は、赤巣(赤須)郷に鹿島香取社と共に転宅する。それにより地名若宮戸と呼ぶ。又、鯨郷大苑木郷に其々社を鎮め祀る。
戦国の世は、小田城主氏治殿月参り、豊田城主四郎将基殿日参りの程共に尊崇篤く、社途中より下馬参向の礼をとり、今日『駒止め』の地名のこる。又、豊田氏よりは、当社に祭祀料として、滑田、松岡、田下、下栗、宗道、鯨、大苑木の地を奉納。(これが手向郷の根源と一説に伝う)他、豊田氏、当社の御分霊を豊田城外に祀る。(阿部神社)鎌倉時代より当社は、豊田三十三郷幸嶋十二郷総社となる。(計四十五郷鎌倉時代の水帳《地検帳》当社に現存す)江戸時代、三代将軍家光公より代々、祭祀料朱印五石を賜る。又、日光東照宮完成のおり家光公より、本殿拝殿を奉納。(当里宗道河原より日光へ資材等を送る)明治時代、廃社の厄を恐れ、祭神阿部宗任命の仮名とし、天津彦々穂之瓊々杵命と号した。同十三年、大火にて本殿拝殿失う。同十七年、本殿拝殿完成。昭和五十三年、『第一期モデル神社』指定。平成元年、宗任神社の森『茨城県の自然100選』に選ばれる。
名称 | 宗任神社 |
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読み方 | むねとうじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0296-43-5460 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
神玉巡拝 下総国結城郡神玉巡拝 |
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詳細情報
ご祭神 | 阿倍宗任公・阿部貞任公 |
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創建時代 | 天仁二年(1109) |
ご由緒 | 阿部宗任公死一等を減じて、肥前に流され九州在住四十七年、天仁元年戊子九月九日享年七十八歳にして亡くなる。
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体験 | 武将・サムライ |
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