かもおおかみみこかみぬしたまじんじゃ
鴨大神御子神主玉神社のお参りの記録一覧
長い社名ですね。覚えられません。
京都の下賀茂神社から分霊したそうで、大昔は上賀茂、中賀茂と三社あったそうです。主祭神は別雷神と、オオタタネコノカミは大物主神の子。
《古事記》では、崇神天皇の代に災害や疫病が続き、オオモノヌシが天皇の夢枕に現れてオオタタネコに我を祭らせよと語り、その託宣のとおりにしたところ災いは去ったという、逸話がありますね。
摂社も沢山、鹿島神社と春日神社が近い場所にあって、なかなか珍しいです。
御朱印は桜川磯部稲村神社で頂きました。
生鳥居です。
以下は摂社
帰りの階段
常陸国新治郡の式内社です。古来"神社"は「○○神社(○○かみのやしろ)」と訓読みにし、「○○」の部分が神名とされていました。つまりこの神社においては鴨大神、御子神、主玉神という3柱の神様の名前が社名に入っているということです。式内社では一番多いんじゃないでしょうか?
《注連縄鳥居》
この神社には鳥居がなく、Googleマップで見るとこの場所が注連縄鳥居と表示されています。
《境内前の注連縄》
《手水舎》
蛇口式ですが水は出ませんでした。
《獅子狛犬像》
社殿から見て右手側から入る形になるのですが、拝殿の先に道はあれども獣道で、参道があるようには見えませんでした。
《文化財について》
宝物であった「大般若波羅蜜多経三三六巻」が県指定、本殿が市指定の文化財となっています。
《祭事記》
季節の祭り+名前を聞いたことがない祭りがありますね。
《拝殿》
銅版葺きです。
《扁額》🙏
👁チェックポイント‼️
御祭神はそれぞれ社名にちゃんと紐つけられるようで、別雷神=鴨大神、御子神=大田田根子神、主玉神=主玉神となっていると思われます。また、鴨大神(かもおおみわ)とも読む説があるようで、そうなると大田田根子=大神御子神となりますね。そうなると「鴨」単体はなんなのか…
《末社・香取神社》
この神社の本務社である磯部稲村神社には同じく本殿の右横に相対する鹿島神社があります。
《末社・日吉神社》
3/29最後に行ったのがここです
磯部稲村神社がこちらも兼務されてて御朱印がいただけたので御礼参り。
無人社なので親は興味なさそうだから1人の時に行こうかと思ったのですが、一応聞いてみたところ今日は当たりの寺社が多かったせいか、珍しくOKが出たので寄ってくことにw
田舎の神社のわりには社殿が立派と思ったら、調べてみたところ村社格ではなく郷社格。
しかも鹿嶋神社、吉田神社に次ぐ常陸国で三番目に古い神社だとか!Σ(Д゚;/)/
祭神は主玉神、別雷神、太田田根子
別雷神が木花咲耶姫のダンナさんのニニギノミコトに相当するらしい。
大物主神とかは祀られてないが、太田田根子は何の関係があるんだ(?_?)と思ったら、主玉神と別雷神が京都の上賀茂神社に由来する神様で、太田田根子が賀茂氏の祖神なんだとか・・・そういう関係か(゚Д゚)!!
明治の合祀令で近隣神社が纏められたものとかはともかくとして、やっぱ神社に祀られてる神様は何らかの繋がりがあるんですね。
階段近くにあった石碑 磨耗して読めず
古神道の香り漂う、自然木に注連縄を渡しただけの生鳥居
撮影はできなかったのですが、神社から少し離れたところにも.太い注連縄が渡されたSNS映えしそうな生鳥居がもう一つありましたw
参道を登ると神社の横に出るようになってます
御神木
山中の無人社のわりには社殿が立派
本殿、稲田神社とも似た装飾は少ないが重厚な造り
こちらの方はこういう様式が多いのかな
本殿左右に同等の大きさの境内社がありました
文字が掠れて祭神はわからず
右側はかろうじて鹿嶋神社と読めます
だとすると左側は香取社か(・・?
新しめのお社には社名が刻まれてます
金比羅神社
八幡神社
春日神社
古い石祠も随所に
歌碑だと思うけど崩し字で読めない(^^;
鴨大神御子神主玉神社(かもおおかみみこかみぬしたま~)は、茨城県桜川市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は主玉神。別称は「鴨神社」、「賀茂大明神」。
社伝によると、神武天皇8年(紀元前652年)に京都の下鴨神社の分霊を奉斎したとしている。国史の初見は『日本文徳天皇実録』で、平安時代の850年に「鴨大神御子神主玉神」が官社に預かったと記載され、『日本三代実録』では861年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「常陸国 新治郡 鴨大神御子神主神社 小」に比定されている。平安時代後期の1062年に、奥羽討伐の勅命を奉じた源頼義が戦勝祈願し、翌年戦勝の報賽として社殿を修繕した。鎌倉時代末期の1323年には後醍醐天皇が巻尾に御諱を署した大般若経を寄進した。戦国時時代の1569年に佐竹義重が現在地に社殿を再建、江戸時代には朱印地3石を受け、「賀茂大明神」と称された。明治期に入り、「鴨大神御子神主玉神社」と改称し、郷社に列格した。
当社は、JR水戸線・羽黒駅の東南東2kmの田園地帯の小丘の上にある。田んぼの脇には注連縄の鳥居が立ち、階段を上がると境内は社殿のみのシンプルな造り。錚々たる歴史を持ち、明治期までは郷社と繁栄したようだが、現在は<村の鎮守>クラスになっている。
今回は、常陸国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分たち以外には参拝者は誰もいなかった。
※御朱印は、当社の北西3kmにある櫻川磯部稲村神社で拝受できる。
神社入口は、田んぼの端っこの小山の麓にあるこの階段。鳥居や社号標はなく、写真左下の<桜川市の文化財標識>だけなので見付けるも一苦労...(^_^;)
階段を登り切った左側に、<御神木>と小さな<手水盤>がある。
<拝殿>遠景。社殿の周りだけがぽっかり空が抜けていて明るく、その周りの森は深いので昼でも暗い。明暗差がスゴイ境内。
<拝殿>全景。拝殿をよくよく見ると、近年改修されたのか、真新しくきれいな感じ。
<拝殿>正面。天上に数枚、千社札が貼ってあるところを見ると、十年以上は立っているのかな?
<鴨大神御子神主玉神社>の扁額。これも新しそう。
拝殿後ろの<本殿>。こちらも手入れが行き届いていて、すごくきれい。
社殿右側奥の摂社<鹿島神社>。
社殿右側にある、台座に社名が刻まれた末社<春日神社>。
石製小祠群と石碑群。
拝殿の正面には、参道のような道が伸びてはいるが、けもの道のようになっている。
階段を上がってすぐの場所にある建物。
社殿左側にある末社<琴比羅神社>。
社殿左側の末社<八幡神社>。
社殿左側奥の摂社<日枝神社>。
駐車場もないので、階段下にしばし停めさせてもらった...(^_^;)
達筆な筆致の御朱印が欲しくてお参りしました。
また、茨城県で名前が一番長い神社だという事にも惹かれました。
「かものおおかみのみこかみぬしたまじんじゃ」と読みます。
鳥居がなく注連縄の入り口。鳥居がないわけは、由緒書に書いてありますが、長くなるのでここでは省略。由緒書は御朱印と同じく、櫻川磯部稲村神社でいただけます。
とても静かな境内でした。
御朱印です。櫻川磯部稲村神社でいただけます。
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