とくぞうじ|真言宗智山派|引布山
徳蔵寺茨城県 笠間駅
AM8:00~PM5:00
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楽しみ方
茨城県 東茨城郡 城里町 に境内を構える、引布山 金剛光院 徳蔵寺、別称 徳蔵(とくら)大師、開運 茨城 花の寺 八ヶ寺霊場、十二支の守り本尊と花めぐりにて参拝致しました、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、非常に対応の良い寺院様でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 引布山、院号は 金剛光院、寺号は 乗蓮寺、宗旨 宗派は 真言宗 智山派、ご本尊は 大日如来、開運 茨城 花の寺 八ヶ所霊場 第六番札所 未・申 大日如来、佐竹七福神霊場 寿老人、寺伝では弘仁年間(810-824)弘法大師空海が当地に密法を広めようと八岐大蛇伝説の八瓶山中で雨乞いの祈りをしたという創建の話が伝えられ、また平安時代末期に弁海上人が現在地の山奥にある八瓶山麓に開山し七堂伽藍が建立されたと伝えられています。
鎌倉時代になるとこの徳蔵寺は同じ真言宗の笠間市 正福寺との争いが絶えませんでした。
正福寺は百坊、徳蔵寺は三百坊といわれる勢力で抗争を繰り返していましたが、劣勢だった正福寺は下野の守護宇都宮頼綱に援軍を求め、元久2年(1205)頼綱は甥の塩谷時朝を派兵しました。佐白山西麓に拠点を築いた時朝は徳蔵寺の僧兵を打ち破り、やがてはその勢いを恐れて敵対した正福寺勢を佐白山に攻め堂宇僧坊をことごとく破壊し滅ぼしてしまいました。
時朝はその後佐白山に笠間城を築き約400年この地を治めた笠間氏18代の祖となりました。
兵火に合い灰塵に帰した徳蔵寺は、難を逃れた諸仏を僅かに堂を構えて之を護り、大永2年(1522)空法上人来たりて再び徳蔵寺を現在の地に興すと伝わっています。
一方堂宇僧坊をことごとく破壊された正福寺も本尊は祀り続けられ、やがて宥明上人が再興し勝福寺と改め、貞享3年(1686)になって正福寺となり現在も法灯を護持しています

| 名称 | 徳蔵寺 |
|---|---|
| 読み方 | とくぞうじ |
| 通称 | 徳蔵大師 |
| 参拝時間 | AM8:00~PM5:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 0296-88-3037 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 茨城 開運花の寺巡り 第6番 | 仏さま:大日如来 |
|---|
| ご本尊 | 大日如来 |
|---|---|
| 山号 | 引布山 |
| 院号 | 金剛光院 |
| 宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
| 創建時代 | 弘仁年間(810-824) |
| 開山・開基 | 弘法大師空、髙僧海弁海上人 |
| 文化財 | 駕籠 (城里町指定文化財) |
| ご由緒 | 徳蔵寺は城里町の徳蔵とくらに位置する真言宗(智山派)のお寺です。平安時代の末期に弁海上人べんかいしょうにんによって創建されといわれています。ご本尊は大日如来です。 一時期は300人もの僧侶がいて賑わいましたが、元久2年(1205年)、笠間の正福寺しょうふくじとの争い(法戦)により、伽藍が焼失しました。 一方の正福寺も後に笠間氏を名乗る宇都宮氏(藤原時朝)に攻められて廃寺になりました。(その後再建)事情があっての争いとはいえ、最終的にはいずれにも残念な結果となったようです。 幸いにも徳蔵寺には仏像と伽藍の一部は守られましたので、大永2年(1522年)に空法くうほう上人が小さな伽藍で再興しました。 |
| 体験 |
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