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古くから羽梨山に鎮座していた羽梨山神社、天智天皇三年(664)に桜の多い羽梨山の中腹に木花咲耶姫をお祀りする祠を建てたことから花白山神社と呼ばれるようになった。木花咲耶姫、桜、花白山と、美しい女神様を思わせる由緒ですね。
延暦二十二年(803)には坂上田村麻呂が陸奥征伐の戦勝祈願のため社殿を寄進、平将門の乱では平貞盛が弓矢と砂金を奉納し、源頼家と義家が矛、太刀、鎧、神馬を奉納したなど、古の歴史を持つ神社なんですね。天正十一年には兵火により、社殿を消失して今の場所に移ったみたいです。ちなみに、源氏から奉納された神馬の鎧は現存しているそうですよ〰︎。どこに?って思うほど、あっさりしている神社なんですがね💦
狛犬、石灯籠が次々と並んでます。
駐車場は無さそうなので、路駐で🙆
太い〆縄が取れちゃってるけど。
神橋もちゃんとあります。
由緒書き
旧跡地碑?
拝殿
屏額の隣には、新目の奉納額があります。何の絵なのか分かりませんが、顔がユニークなのですよ。
本殿
御神木であり、市の天然記念物、樹齢500年のスギ。
羽梨山神社(はなしやま~)は、茨城県笠間市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は木花咲耶姫命。
創建は不詳。社伝によると、飛鳥時代の664年に、桜の多い羽梨山の中腹に木花咲耶姫命を祀る祠を建立したのが始まり。平安時代の803年には坂上田村麻呂が陸奥征討の戦勝祈願をし、社殿を寄進した。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「常陸国 茨城郡 羽梨山神社 小」に比定されている。平将門の乱では、平貞盛が弓矢、砂金を奉納し、平将門征伐の戦勝祈願をした。のち源頼義、義家が、矛、太刀、鎧、神馬を奉納した(神馬は現存)。鎌倉時代には、鎌倉から移住した宍戸家正が社殿を建替えた。室町時代の1542年には兵火で羽梨山中腹の社殿を焼失、現在地の羽梨山山麓の熊野権現に合祀された。江戸時代の1703年に現在の明神石鳥居、1747年に現在の社殿が建立された。明治時代には、郷社に列した。
当社は、JR常磐線・岩間駅の西北西3kmの畑が広がる農村地帯にある(旧跡地の羽梨山は現在開発されてしまい、ゴルフ場になっている)。境内は社殿に境内社が数社あるぐらいで、旧郷社としてはかなり小さめ。江戸時代に建立された明神石鳥居と社殿が見どころ。
今回は、常陸国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、参拝者は自分たち以外には誰もいなかった。
※境内社務所に宮司さんの電話番号があったため、掛けてみたところ、現在は御朱印をやっていないとのこと。残念...
境内南端入口にある<鳥居>。当社は、畑や果樹園が広がる平地にある。西側のほど近い場所には低い山、羽梨山がある。
鳥居をくぐって、すぐ左側にある<手水舎>。
鳥居から社殿までさほど距離はないが、奉納燈籠が3対も立っている。どれも新しそうで、最近奉納されたものみたい。
<拝殿>全景。屋根や彫刻に派手さはないが、床下階段の朱色が刺し色になっている。
<拝殿>正面。極太の注連縄が目を引く。手作り感があるが、氏子さん達が毎年製作しているのかな?
<羽梨山神社>の扁額。平成の奉納。
<社殿>全景。拝殿はさほど大きくはないが、ここから見る限り、本殿は大きなサイズ。
威風堂々、正統派の立派な<本殿>。
本殿の裏手にある<御神木>。けっこうな太さで、まっすぐ天に向かって伸びている。
<本殿>を逆側から。
社号標はないのかと思っていたが、正面に戻ると低くて控え目な<社号標>を発見。<式内 羽梨山神社>と刻まれている。
南側の公道から境内全景。全体としては<ザ・村の鎮守>といった感じかな。(^▽^)/
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