いはりじんじゃ
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延喜式内社 夷針神社
3回目の参拝
参道がなが~い!
天然記念物の大戸の桜は葉桜
大戸のサクラは、赤芽のヤマザ クラの老大株で、樹齢約500年を 数える。
現在の根元周囲約10.4m、高さ 約15mであるが、大正時代ごろに は、約1,000m2(300坪)の範囲に枝 をひろげていたという。
花は白色で直径約3cm。花期は 4月20日ごろである。
水戸黄門として知られている徳 川光圀公が、このサクラを鑑賞し たと伝えている。
-案内板より-
夷針神社は、茨城県東茨城郡茨城町にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は興津日子命、興津比賣命の2柱。
社伝によると、創建は奈良時代の725年。ただしその後、国史の記載はない。平安時代927年の『延喜式神名帳』には「常陸国 茨城郡 夷針神社」と記載がある。当地は長く大掾氏が治めていたが、室町時代の1426年、江戸通房により水戸城が攻められ、落城の時に城主・大掾満幹の家臣・根小屋伊勢守が水戸城の鎮守「武熊大明神」の神璽を持ち出し当神社に合祀した。このため、以降は、「武熊明神」、「両社大明神」などと呼ばれたという。江戸時代の1797年、1838年の裁許状には「夷針大明神 武熊大明神」と記載があるが、一般には「武熊明神」と称されていたようで、当神社が『延喜式神名帳』に記載のある「夷針神社」であるとは認識されてこなかった。以上より、式内社と称するには論拠が弱いが、他の論社も同様に決め手に欠いているため、当社も有力論社の一つとなっている。なお、「夷針神社」の論社は当社以外に<飯綱神社(笠間市)>、<足尾神社(石岡市)>、<胎安神社(かすみがうら市)>、<子安神社(かすみがうら市)>がある。
当社は、JR常磐線・赤塚駅の南方8kmの半耕作地の平地にある。境内の南端に一の鳥居があり、北端の社殿まで400mほどの参道が続く。境内は南北に細長く、参道を包み込むようにして高い古木が立っている。この点、古社らしい雰囲気がある。
今回は、常陸国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中で、境内にはジョギング姿の地元民は見掛けたが、参拝者らしい人は自分以外にいなかった。
境内入口の<一の鳥居>と<社号標>。南北に細長い境内の南端にある。
まっすぐの参道の先を見るが、暗くてよく見えない。サバイバル系かな?
参道を200mほど進むと、中間地点にある<二の鳥居>。手前を公道が横切っている。
さらに参道を進む。参道はきれいにしてあって、意外と暗くない。ぜんぜんサバイバル系ではなくて、ひと安心。
参道の先に赤い屋根の<社殿>が見えてきた。参道は終始まっすぐで、トータルで400mほど。
参道右手に、簡素な<手水舎>。
<拝殿>全景。うっすらと違和感を感じていたが、後で写真を見返すと、当社境内には<狛犬>が一匹もいない...
<拝殿>正面と扁額。
社殿全景。
覆屋は屋根のみで、<本殿>はよく見える。
境内で唯一のちゃんとした建物の境内社<素鵞神社>。<すが>と読むのかな?
珍しく、しっかりとした台座の上に建つ石製小祠。名称不明。
派手な朱塗りの石製小祠。名称不明。
社殿脇に建つ、歴史を感じる<巨木>。
境内南端の一之鳥居まで戻ると、参道往復で800mほどになるので、しっかり散策したという不思議な満足感がある。
常陸国式内社とされる神社(いはりじんじゃ)。
車を停めたところから少し歩いて第一の鳥居からしばらく歩いて境内へ。
ここは常時誰かがいるわけではないので、御朱印はもらえるか不明。
第二の鳥居
本殿
第二の鳥居付近の末社
拝殿左側にある鳥居
素鵞神社
稲荷大明神
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