じょうどじ
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浄土寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2022年07月26日(火)
参拝:2022年7月吉日
高野山真言宗 極楽山 浄土寺
今回は加東市方面へ向かう途中、浄土寺には1年以上お参りしていないなと思い、立ち寄らせていただきました。
浄土寺は、浄土堂とそこに安置されている阿弥陀三尊が国宝となっています。
よく晴れた日の夕方、西日が浄土堂内に差し込む頃に訪れると、阿弥陀三尊の背後から西陽が差し込み、床に反射した光が天井、そして阿弥陀三尊を照らし、赤く染められます。
この日は絶好の晴日だったのですが、この後に予定があり夕方まで待つことができなかったため断念。
赤く染まった三尊はまたの楽しみに取っておきます。
この浄土寺は重源上人の建立になります。
重源上人といえば、源平合戦で灰燼に帰した東大寺を復興させるため大勧進職となり、見事東大寺を復興させた僧侶になります。
その復興過程で、各地に東大寺の別所を創設。
七つの別所のうち、播磨別所と呼ばれるのがこの浄土寺になります。
もともとは行基上人が建立した広渡寺が荒廃、重源上人が現在地に移して浄土寺として復興。
その広渡寺の本尊だった薬師如来坐像を薬師堂に安置して本尊とされたそうです。
今回は加東市方面へ向かう途中、浄土寺には1年以上お参りしていないなと思い、立ち寄らせていただきました。
浄土寺は、浄土堂とそこに安置されている阿弥陀三尊が国宝となっています。
よく晴れた日の夕方、西日が浄土堂内に差し込む頃に訪れると、阿弥陀三尊の背後から西陽が差し込み、床に反射した光が天井、そして阿弥陀三尊を照らし、赤く染められます。
この日は絶好の晴日だったのですが、この後に予定があり夕方まで待つことができなかったため断念。
赤く染まった三尊はまたの楽しみに取っておきます。
この浄土寺は重源上人の建立になります。
重源上人といえば、源平合戦で灰燼に帰した東大寺を復興させるため大勧進職となり、見事東大寺を復興させた僧侶になります。
その復興過程で、各地に東大寺の別所を創設。
七つの別所のうち、播磨別所と呼ばれるのがこの浄土寺になります。
もともとは行基上人が建立した広渡寺が荒廃、重源上人が現在地に移して浄土寺として復興。
その広渡寺の本尊だった薬師如来坐像を薬師堂に安置して本尊とされたそうです。
駐車場に車を停めて、境内へは左右どちらかの石段を上ります。
国宝 浄土堂(阿弥陀堂)
建久5年(1194年)に上棟
また同じく国宝の阿弥陀如来と両脇侍立像が安置されています。
三尊とも名仏師快慶の作になります。
建久5年(1194年)に上棟
また同じく国宝の阿弥陀如来と両脇侍立像が安置されています。
三尊とも名仏師快慶の作になります。
浄土堂内は撮影禁止のため、小野市観光協会HPよりお写真をお借りしました
手水の水は止まっていました。
その理由が、「アライグマが洗いに来るのでしばらく水を止めます」とのこと。
その理由が、「アライグマが洗いに来るのでしばらく水を止めます」とのこと。
浄土堂越しに鐘楼堂
経蔵
開山堂
薬師堂(本堂) 国指定重要文化財
建久8年(1197年)に建立されたものの明応7年(1498年)に焼失。
永正14年(1517年)に再建。
建久8年(1197年)に建立されたものの明応7年(1498年)に焼失。
永正14年(1517年)に再建。
百日紅(サルスベリ)
不動堂
裏山には四国八十八ヶ所が設けられています。
第一番入り口
鎮守八幡神社
拝殿及び本殿は国指定重要文化財
浄土堂前の池にはコガマがモコモコ
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
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