いそべじんじゃ
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御朱印 | |||
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駐車場 | あり |
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2021年11月以来の参拝。
今回たまたま前を通りかかり、吸い寄せられるようにお参りさせていただきました。
石部(いそべ)神社は、養老3年(719年)3月に宮島の厳島神社より御祭神を勧請し、創建された古社になります。
養老元年(717年)、元正天皇の皇女勅を奉じて安芸国宮島に御参詣されました。
御祈祷を終え海路帰途につかれましたが、波風が大変強く航行が難しくなり、陸路を進みましたが疲労が激しくこの地で療養をされました。
しかし容体はよくならず、ここで崩御せられました。
三津山(宮山)の山頂に埋葬され、皇女の遺言により厳島神社の御祭神を勧請し創建されたとのこと。
御朱印をいただこうと思ったのですが、宮司様はご不在だったようです。
前回写真を撮り損ねた鳥居。
リベンジ成功です!
「門杉」と呼ばれ、樹齢1300年ともいわれています
拝殿
拝殿内
拝殿から見た門杉
本殿
末社 左から
八坂神社 神明神社 道祖神社
末社 左から
上野鎮守社(大歳神社 愛宕神社 恵比須神社) 稲荷神社 少宮神社
加西市北部、皇塚古墳の南に鎮座しています。
<以下、境内の由緒書より>
祭神 市杵島姫命・田心姫命・湍津媛命
由緒 奈良朝元正天皇の養老元年 皇女勅を奉じて安芸国宮島に御参詣 護衛の近士70余名 他に宮人多数を従えて宮島に御到着 三七夜の御祈祷も了えられ海路帰途につかれたが、折悪しく暴風海波甚だ荒く航行至難、皇女のお疲れ又一方ならず。ために播州室津の湊に上陸された。此処に三日間御静養の後陸路をとって播州賀茂郡船岡の辺を啓御されたが、その頃皇女の御疲労降った備重く、里人に仮殿を造らせて療養に努められたが、御容体安からず遂に崩御せられる。
この由上聞に達し勅使の御下向あり三津山(宮山)の山頂に埋葬せられた。今も山頂に古墳があり、之を皇塚という。
皇女崩御の際の御遺言により、宮島の厳島神社より御祭神を勧請してこの地に神社を創建し奉斎された。
石部神社鎮座記より
沿革 本神社は養老3年3月の創建にして、当時神式には、畏くも勅使の御参向があり醍醐天皇の延喜年間式内社として神名帳にも記載され、又徳川将軍家の崇敬厚く、慶安2年徳川家光社領朱印五石を寄進し境内山林の諸役を免ぜられた。
明治7年2月郷社に列し、昭和21年10月兵庫県知事より「県社に当然列格せらるべきものたりしことを認む」との県措令を受けている。
この中で記載されている古墳が神社の北にある皇塚古墳になります。
石段や玉垣、手水は比較的最近修繕されたのかとても真新しく、それに対して樹齢1300年に達するかもしれない門杉や拝殿の貫禄との対照的な感じが印象的でした。
私が参拝したときにはちょうど七五三のご祈祷中ということもあり、極力お邪魔にならないよう引き上げたのですが、拝殿内をもう少しじっくり観察したかったなぁ。
鳥居がないなぁと思っていたら、実はここから南に100mちょっと行ったところにあることを帰宅後Googleマップで気付きました😅
境内に進むと大きな杉の木が2本。
「門杉」と呼ばれていて、石部神社がここに鎮座した719年頃に植えられたものではないかという説もあるそうです。
門杉を真下から見上げるととても迫力があります
門杉を過ぎて石段を上がった右手には左大臣
左手には右大臣
手水舎
拝殿
拝殿内部に入りたかったのですが、ちょうど七五三のご祈祷中のため遠慮しました
「礒邊社」?
もしかして石部(いそべ)神社は、この礒邊(いそべ)という字を使っていたんでしょうか?
本殿
本殿の彫刻
七五三の時期ということもあり、拝殿内にはこのようなセットも。
奉納画もかなり古そうです
狛犬さん(阿形)
狛犬さん(吽形)
厳島神社より勧請されたから、嚴島神社の神紋が使われているんですね
由緒書
末社 詳細わからず
末社 こちらも読み取れませんでした
鐘楼
氏子から奉納されたもののようです
ここから皇塚古墳に入るようですが閉まっていました。
開いてても入りませんが・・・😅
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