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山之上住吉神社と潰目池と
山之上住吉神社
例祭日 10月14日
主祭神 底筒男命
配祀神 中筒男命 表筒男命 息長足姫命
末社
高良神社 船玉神社 厳島神社
土地神社 池之明神社 大歳神社
創立年不詳
嘉永元年(1848)、社殿再建
明治7年(1874)、村社に列せられる
電話番号 079-492-0741(天満神社)
〜兵庫県神社庁より〜
播磨町の大中遺跡に道を隔てて隣接する、
潰目池のほとりに鎮座するのが
山之上住吉神社です。
この一帯は旧石器時代の石器や弥生時代後期の
竪穴式住居跡がみつかり、
山之上遺跡と名付けられています。
堤高4m、堤長356mの潰目池は、
崩れた地盤に生じた潰れ目や潰れ地など、
池の成り立ちにその名前が由来していると
いわれています。
#わがまち加古川70選66
#大中遺跡
#郷土資料館
📍 #兵庫県加古川市平岡町山之上685番
潰目池
潰目池がいつ頃出来たのかは定かではありませんが、「つぶれめ」とは割れ目、裂け目などの「目」と言われ、一段高い地盤が崩れ、つぶれ地が出来、そこに土手を築き池を作ったのではないかという説が有力です。
太閤秀吉時代には、潰目池郷と呼ばれていたので、それ以前に出来ていたのであろう。江戸時代の中野村、経田村、古向村、東中野村、山之上村については潰目池郷と呼ばれていました。さらに八反田村、西本庄村、東本庄村、宮北村、野添村、大沢村の水田へも配水され、高二千石余り(一石は玄米百五十kg)への水掛りでした。
昭和30年代、夏には子供たちの泳ぐ姿があり、初秋にはひし取りに興じ、冬には池の南土手斜面を滑り台として楽しんでいました。晩秋には水を落とし、鯉、鮒、鰻取りが風物詩でした。現在、その面影を見ることが出来ませんが、ため池としての重要性は変わっておりません。
そして昭和40年頃に潰目池の東側半分ほどが埋め立てられ、現在のような形となりました。
10月31日から「弥生の御朱印巡り」
始まるみたいです





















郷土資料館












潰目池という池の南端に鎮座しています。
この潰目池あたり一帯は、山之上遺跡と呼ばれています。
なんと先土器時代(今から1万年以上前)の人々が暮らしていた石器が発見されているそうです。
さらに道路を挟んだ東南側には、国指定史跡の大中遺跡(弥生時代後期今から1,800年位以前の遺跡)があり、そのことからも大昔からこの山之上住吉神社の周辺は人々が暮らしており、ある意味パワースポットなんでしょうね。
創立年は不詳で、嘉永元年(1848年)に社殿再建とあります。
ネットで調べていると2019年7月には「千灯祭」というものが開催されたようです。
地元の方から愛されている神社なんでしょうね。

鳥居

拝殿にて参拝しようと思ったら、左手に異様な松の木がっ!!!
どうやったらこんな曲がり方をするんでしょうか?

反対側に回り込んだらちょうど太陽が中心に見えました

さて、改めて拝殿に向かいます




拝殿前から鳥居方向に振り返ってみました。
とてもきれいに手入れされています。

本殿

手水舎
施主:五郎兵衛って、誰だろう?

末社
左から
高良神社 船玉神社 厳島神社 土地神社 池之明神社 大歳神社

王子権現社

稲荷神社でしょうか?

池之明神社拝殿?
本来はここに社殿があったものを末社として合祀したんでしょうか。

山之上遺跡の説明

ここからはおまけ
せっかくなので大中遺跡公園も少し見学してきました(無料です)




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