いなづめじんじゃ
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楽しみ方稲爪神社のお参りの記録一覧
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江戸の風情がそのまま残るエリアに稲爪神社⛩️はあります
御祭神(大山祇命)山神、開運招福
(面足命.かしこね命)国造神
(伊和都比売命)海の守護
(奥津比古命、奥津比売命)家内守護
(宇留命)土地神
【稲爪神社⛩️伝承】
推古天皇の時代、三韓から八千の鉄人が
襲来‼︎
伊予国から派遣された武将(小千益躬)が
大山祇神に祈願すると明石の地に雷鳴が⚡️
響きわたり⚡️稲妻と共に神が現れて『足裏を矢で射抜け』と啓示があり、見事に矢で足裏を射抜いて討ち取り、平和が守られた
この神話から{稲妻大明神]とよばれた
【稲妻⚡︎伝承】(o^^o
* 稲爪神社⛩️は神話と歴史‼︎
恵比寿様や龍神様もいらっしゃる凄い
パワースポット!
境内には直営幼稚園もありました
幼稚園への通用口も神社ならではで
した^ ^

兵庫県明石市にある神社です。
お参りするのは2回目です。
こちらは JR明石駅近辺では大きな神社になります。
駅からもそう遠くないので 参拝者は多い方です。
この日は夏のお祭りで賑わっていました。
といっても まだ日中で 準備の大人が盛り上がっていた感じです。
子供たちで賑わうのは夕方でしょうね。
神職の方々もお忙しそうで 御朱印はお願いするのをやめました。
茅の輪くぐりだけはさせていただきました。
もう夏ですね。(お参りした日を回顧して)
ネット情報です。
推古天皇の頃 三韓より鉄人が8千人を率い来襲した。
討伐を命じられた伊予国の小千(越智)益躬は 故郷の大山祇神社の祭神である大山祇神に祈ったところ 鉄人が明石に着いた時 稲妻とともに大山祇神が姿を現し 鉄人の唯一の弱点である足裏を射よと告げた。
これに驚いた鉄人を益躬が矢で射殺した。
小千益躬は大山祇神に感謝し 大山祇神が現れた地に大山祇神社を勧請したことに始まると伝えられる。
古くは稲妻大明神と呼ばれていたが 稲妻が転訛して「稲爪」となったと伝えられる。


JR神戸線「明石駅」から東へ歩くこと約20分のところに鎮座。
2年ぶりの参拝?そんなに時が経ったかな?という感じでした。
境内にはえびす神社もあり、毎年1月9日~11日は多くの参拝者で賑わいます。
今回ふと気付いたのが、こちらの稲爪神社には鳥居がない!
その代わり立派な随身門があり、中にはこれまた立派な随身像(右大臣・左大臣)がいらっしゃいます。
そして随身門を抜けると左手に手水舎があり、私の大好きな贔屓ちゃんの口から亀の水が出ています。
現在、御朱印は書置きのみですが、コロナ真っただ中では御朱印の配布もなかったので、書置きを拝受できただけでもありがたかったです。
主祭神 大山祇命、面足命、惶根命
配祀神 伊和都比売命、奥津比古命、奥津比売命、宇留命
<御由緒>
推古天皇の時代、朝鮮半島から鉄人を大将に大軍が侵攻。 九州でその軍を止めることができず、都に向けて進軍。
明石の和坂で寛いでいるところ、大山祇神の瑞顕で稲妻が光り雷鳴が轟いたとか。
それに驚いた鉄人の足の裏に越智益躬が矢を放ち鉄人を倒すことができた。
大山祇神に感謝して、稲妻大明神と崇め奉られ、ここから転訛して稲爪神社となったそうです。

御朱印

随身門




手水舎

注連柱には大きな矢。
鉄人を倒した矢にちなんででしょうかね。

拝殿
神紋(隅切折敷三文字)は、三島大明神と呼ばれた「大山祇神社」と同じですね

拝殿内にも矢が立てられています。



拝殿前には龍の像がありました。
前回参拝時にはなかったような・・・

本殿

えびす神社

えびす神社本殿

末社 庚申社、猿田彦社

末社 白玉稲荷社、高倉稲荷社




播磨国明石郡の式内社"伊和都比売神社"の論社です。朝鮮半島から襲来した鉄人8千人を、稲妻と共に現れた大山祇神さまから弱点を教えてもらって追い返したとされ、それを感謝して建てたお宮と言われています。かつては海神社、岩屋神社とともに東播磨の三大社とされていました。

《随身門》
この神社は鳥居がありません。同じく伊和都比売神社の論社とされる伊奘冊神社、岩屋神社も同じでした。なんか意味があるんでしょうか。

《幼稚園》
結構騒がしかったです。やはりこういう子供の声が聞こえるというのは神様的には嬉しいでしょうね。

《手水舎》
近づくと水が出ます。


《末社群》
小さな末社は境内にありますが、摂社は境外にあるという、大社だった名残があります。

《龍神像》

《末社・猿田彦神社》

《末社・稲爪浜恵比須神社》

《授与所》
御朱印いただきました。ついでに向かいに建っている兼務社の休天神社の御朱印について伺ってみると、書き置きをいただくことができました。復活していたみたいです。

《御守り》
👁チェックポイント‼️
御祭神の一柱におられます。先程の伊和都比売神社の論社の中で一番関係性を主張していますね。実のところ、伊和都比売神社はかつてこの神社の西側にあり、後世に合祀されたそうです。
そして、この稲爪神社は『播磨国風土記』では同じく式内社の宇留神社ともされているそうです。

稲爪神社
~左甚五郎作の彫刻~
主祭神 大山祇神
面足神
惶根命
伊和都比売命
奥津比古命
奥津比売命
宇留命
社格 式内社(小)論社
旧郷社
創建 推古天皇年代
本殿様式 流造
例祭 10月8日
主神事 神楽獅子舞
御由緒
7世紀はじめの推古天皇の時代に異国三韓より鉄人が8千名を率いて攻めて来たのを朝廷より勅命を受けた伊予国の越智益躬は九州まで出向き降伏を装って敵陣に入り東へ道案内の途中明石へ入った時俄かに空が暗くなりすさまじい稲妻の中三嶋大明神が現れ鉄人たちは雷に撃たれてしまったと言います。そこで益躬はこの地に三嶋大明神を祀り稲妻大明神と崇めたのが稲爪大明神へと変化したのが稲爪神社の始まりだと伝わります。戦国時代には別所氏方の大蔵谷城を攻めた高山右近により焼かれ暫くの間は北側に仮宮が置かれましたが(現在の熊野皇神社のある場所)、江戸時代に入り元の場所へ再建されています。なお現在の拝殿などは昭和52年の火災後に再建されたものです。
旧山陽道と国道2号線に挟まれた場所に位置する稲爪神社は大蔵谷の産土神であり、岩屋神社と並ぶ明石を代表する神社です。
左甚五郎作の彫刻
素戒鳴尊、八岐大蛇退治をモチーフとしたもので左甚五郎作と伝わります。 左甚五郎は明石の和坂生まれという地元伝承があり彼の作品と伝わる山門や木像などが何ヵ所か明石市内にもありますが、この門は一般に知られる左甚五郎の作品の可能性が高いといわれています。
稲爪神社には文化財指定を受けている複数の神事が伝承されています。兵庫県指定無形民俗文化財の大蔵谷の獅子舞は京へ上る途中だった秋月種実が大蔵谷宿で宿泊した当日が稲爪神社の宵宮で秋月家の先祖大蔵氏時代から伝わる獅子舞神楽を奉納したのが始まりと伝わるもの。牛乗りと大蔵谷の囃口流しは明石市指定無形文化財となっています。
~大山祇神~
記紀神話で、伊弉諾・伊弉冉尊の子、また磐長姫(イワナガヒメ)・木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の父として語られる神。『古事記』で大山津見神、『伊予国風土記』逸文で大山積神と記されます。本居宣長は『古事記伝』のなかで、山津見とは山津持、すなわち山を持ち、つかさどる神のことであるという賀茂真淵の説を紹介されています。『伊予国風土記』逸文で、仁徳天皇のとき百済国より渡来、初め摂津国御島(大阪府三島)に座し、のち伊予国御島(愛媛県今治市大三島町)に移り、現在の大山祇(オオヤマヅミ)神社に祀られたと記し、『釈日本紀』に現在の静岡県三島市大宮町の三嶋大社の祭神としても記されています。
現在各地の神社に祀られている大山祇神は、山の神として一般に信仰されてきた神です。
明石市大蔵本町6―10
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