やすみてんじんじゃ
休天神社兵庫県 人丸前駅
参拝自由
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楽しみ方
創建) 903年 御祭神) 菅原道真公(天神様)
菅原道真公が、九州に左遷の道すがら脚を休めたと言う故事による神社⛩️
[やすみてん・じんじゃ]なのではなく、
【やすみ・てんじん・社】らしい
一般的には【休天神(やすみてんじん)】と言ったり(明石天満宮)と称する事も!
太宰府に左遷された道真公が、道端で腰掛けた石(腰掛け石)を祀った神社だが、石は旧山陽道に面した大倉院より移設されたと
伝わる
当時、道真公は讃岐守に任じられており
四国に渡る折に明石の駅家を利用していた為、駅長とは知己があったと言う
左遷を嘆く駅長に詠んだ歌の歌碑が境内にはある
♪♪『駅長、驚く勿れ、時の変じ改まるを
一栄一落、これ春秋🍂
訳) 駅長ドンマイ‼︎ 時間が経ち、浮き沈みが
起きるのは季節が巡るのと同じ、普通の
事である・・🥹
この歌に想いを寄せすぎて、写メ忘れてました・・
鳥居⛩️幹線道路に面しています
狛犬
手水舎
拝殿
境内社
撫で牛🐮
道真公没後1100年の植樹
奉賽記念碑

兵庫県明石市にある神社です。
こちら「やすみてんじんじゃ」と読みますが 菅原道真が九州に左遷されていく道すがら立ち寄って休憩したという故事により 「やすみ・てんじんじゃ」と読むのが正しいそうです。
菅原道真公は船で大宰府に向かったはずなのですが 播州街道は馬で旅をされたようです。
神戸~高砂辺りの多くの地でお休みになられているようですね。
縁の神社がとても多いです。それだけ瀬戸内の海が荒れたということなのでしょうか。
歴史に詳しくなると 寺社巡りはもっと楽しくなると感じました。
ネット情報です。
創建は903年(延喜3年) 御祭神は菅原道真です。
菅原道真が太宰府へ流される途中 明石の駅家(うまや)で休息をとったと伝えられており 神社はその駅の跡地とされている。
そのときに腰掛けた石というのが「腰掛石(菅公踞石)」として祀られているが これは 旧山陽道に面した大蔵院という寺から移設されたもの。
実際の「駅家」の位置については諸説あり ここから北に1km弱のあたりにも石碑があるそうだ。
菅原道真は讃岐守に任じられていたので 四国へ渡るために明石の駅家はちょくちょく利用しており 駅家の駅長とは知己があった。
道真の左遷を嘆く駅長に対し 道真はこう詠んだとされている。
驛長無驚時變改 一栄一落是春秋
(駅長驚くなかれ 時の変じ改まるを 一栄一落 これ春秋)
この歌を詠んだのが道真だというのが いわゆる史実であるかは定かではないが 境内にはこの歌を刻んだ歌碑もある。
大宰府へ行った菅原道真公が亡くなったということを聞いた駅長が 菅原道真公を祀る祠を903(延喜3)年に建てたのが休天神社の始まりといわれています。
江戸時代の1673(延宝4)年 この祠は明石城主・松平信之の手によって神社として祀られるようになりました。
菅原道真公が座って休んだといわれている菅公踞石も この3年後に近くにある大蔵院からここに移設されたそうです。
正面石鳥居
手水舎
拝殿
撫で牛ではなく 縁起牛
本殿は見えません
境内社 度會大明神
| 名称 | 休天神社 |
|---|---|
| 読み方 | やすみてんじんじゃ |
| 通称 | 休天神さま,明石天満宮 |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約5分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | なし |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 078-911-3143(稲爪神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
| 菅公聖蹟二十五拝 第15番 | 仏さま:菅原道真 |
|---|
| ご祭神 | 菅原道真 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 延喜三年(903年) |
| 創始者 | 明石駅家の駅長 |
| 本殿 | 一間社流造 |
| 体験 | 絵馬御朱印お守り祭り札所・七福神巡り伝説 |
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