みくりやじんじゃ
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楽しみ方御厨神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年08月08日(金) 20時45分06秒
参拝:2025年7月吉日
明石市二見にある神社です。
二見ではいちばん大きな神社だと思います。
社号の石碑に「海上安全大漁祈願」と書かれていますので この日は港まで足を延ばしてみました。
600mぐらい 鳥居から港まで参道が続いています。
途中にちゃんとあるんですね 柱の門と燈籠が。
境内外もしっかり見てみるもんだと思いました。
さて境内に入るのですが 神門の前に鳥居その前に松の木があります。
ちょっと珍しいと思いました。
言い方は変ですが 松の門 一の鳥居 二の鳥居 神門 の順で その間隔がかなり近い。
2回目のお詣りで初めて気づきました。
本殿のお詣りをすませ 社務所で御朱印をお願いしました。
御厨神社さんは 御朱印もお守りも種類が多くて悩みます。
お守りはサンリオとコラボしてるのかなぁ。キャラクター多いです。
ネット情報です。
本殿は三社相殿で 『播磨鑑』には天満宮とあって 左天満天神(菅原道真) 中八幡宮(応神天王、神功皇后) 右牛頭天王を三社相殿に祀る とある。
往年の火災により 社殿と共に記録文書を消失し創立の年月は不詳。
社伝によると 神功皇后の西征の際 この二見浦に船を泊めて船子を加え兵糧を集めた時 土地の者が食物を奉ったところという。
その事故によって御厨(神饌を調進する所)の名が起った・・・。
だが この御厨という言葉は 主として伊勢神宮について使用されることから 伊勢神宮の荘園ではなかったかとの説もある。
貞観年間(859~877)に八幡宮を勧請。
延喜元年(901)菅原道真が筑紫大宰府に左遷されて西行の途次 船をこの浦に寄せて社地に上陸した所縁により 寛和年中(985~987)に天満宮を勧請。
この当時の社地は君貢神社(二見町東二見1)付近と伝え 菅原道真が西下の時 一夜の宿とした岡を“仮寝の岡”といい そこに手植えした松を“仮寝の松”として神木とされ 二見の名所であった。
松は枯れたが石碑は残っている。
しかし 菅公が休息したのは現在の社地であるという説もあり 鳥居の傍らの松に“菅公腰掛松”というものがあったといい また菅公が右大臣であったところから 大臣の唐名・丞相を冠して地名とした丞相谷は現社地の南方にある。
以上の説はともかく 現社地が卯ノ花ノ森に移ったのは長暦年間(1037~1040)と伝えられる。
卯ノ花ノ森は常盤木の森ともいい 付近一帯を御社の岡と呼ぶ。
土地柄から船頭や回船業者など海運関係者の尊崇が厚く 拝殿内に帆前船の絵馬と模型が奉納されている。
境内社も含め 兼務神社は十数社にのぼる。
二見ではいちばん大きな神社だと思います。
社号の石碑に「海上安全大漁祈願」と書かれていますので この日は港まで足を延ばしてみました。
600mぐらい 鳥居から港まで参道が続いています。
途中にちゃんとあるんですね 柱の門と燈籠が。
境内外もしっかり見てみるもんだと思いました。
さて境内に入るのですが 神門の前に鳥居その前に松の木があります。
ちょっと珍しいと思いました。
言い方は変ですが 松の門 一の鳥居 二の鳥居 神門 の順で その間隔がかなり近い。
2回目のお詣りで初めて気づきました。
本殿のお詣りをすませ 社務所で御朱印をお願いしました。
御厨神社さんは 御朱印もお守りも種類が多くて悩みます。
お守りはサンリオとコラボしてるのかなぁ。キャラクター多いです。
ネット情報です。
本殿は三社相殿で 『播磨鑑』には天満宮とあって 左天満天神(菅原道真) 中八幡宮(応神天王、神功皇后) 右牛頭天王を三社相殿に祀る とある。
往年の火災により 社殿と共に記録文書を消失し創立の年月は不詳。
社伝によると 神功皇后の西征の際 この二見浦に船を泊めて船子を加え兵糧を集めた時 土地の者が食物を奉ったところという。
その事故によって御厨(神饌を調進する所)の名が起った・・・。
だが この御厨という言葉は 主として伊勢神宮について使用されることから 伊勢神宮の荘園ではなかったかとの説もある。
貞観年間(859~877)に八幡宮を勧請。
延喜元年(901)菅原道真が筑紫大宰府に左遷されて西行の途次 船をこの浦に寄せて社地に上陸した所縁により 寛和年中(985~987)に天満宮を勧請。
この当時の社地は君貢神社(二見町東二見1)付近と伝え 菅原道真が西下の時 一夜の宿とした岡を“仮寝の岡”といい そこに手植えした松を“仮寝の松”として神木とされ 二見の名所であった。
松は枯れたが石碑は残っている。
しかし 菅公が休息したのは現在の社地であるという説もあり 鳥居の傍らの松に“菅公腰掛松”というものがあったといい また菅公が右大臣であったところから 大臣の唐名・丞相を冠して地名とした丞相谷は現社地の南方にある。
以上の説はともかく 現社地が卯ノ花ノ森に移ったのは長暦年間(1037~1040)と伝えられる。
卯ノ花ノ森は常盤木の森ともいい 付近一帯を御社の岡と呼ぶ。
土地柄から船頭や回船業者など海運関係者の尊崇が厚く 拝殿内に帆前船の絵馬と模型が奉納されている。
境内社も含め 兼務神社は十数社にのぼる。

立派な社号の石碑がありました

参道は海まで続きます 両サイドは燈籠

途中の柱門

鳥居の前の松が印象的です

手水舎には風鈴

鳥居のすぐ後ろに神門 これだけ接近しているのは珍しくないですか

拝殿



本殿拝所

内陣

本殿裏側

境内社 豊受之大神

境内社 京極大明神・経王大菩薩

祠は3基 なぜ?

木製の狐さん


霊牛様

境内社 高良神社

境内社 朝日神社

境内社 右から 金刀比羅神社 秋葉神社 由加神社

忠魂碑
すてき
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くるくるきよせん3028投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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