かんのんじ|臨済宗妙心寺派|補陀山
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楽しみ方観音寺のお参りの記録一覧

山号) 補陀山 創建) 文永4年[1267年]
宗派、宗旨) 禅宗、臨済宗、妙心寺派
御釈迦様の正法を継いだ大師、禅師の禅を宗旨及び教義としている
本山) 正法山妙心寺[京都市]
御本尊) 聖観世音菩薩 # 秘仏👀
【御本尊様は創建時より安座し、二度の
二見村の大火でも焼失せず、その事から
"火防観世音菩薩" として信仰を集める
🈯️ 播磨西国二十七番札所
【御詠歌】
補陀山や 海辺にみゆる 観音寺
わたすお船も 法の道かな
(常光寺南室 禅師)
お庭の綺麗なお寺でした。御朱印をとお願いしたら、2Fの本堂をあけていただきました。正座をして手を合わせて、今日の無事を感謝いたしました。

直書きでいただきました^ ^

山門前の観音寺駐車場から

観音寺の紹介(縁起等)

本堂に入れていただきました

本堂2Fから庭を眺める🪴

明石市二見にあるお寺です。
ちょうど2年前の夏祭りの日にお参りしたことがあります。
また夏祭りの時期かな~ということで再びお参り。
ピンポーン大当たり!
まだ子どもの姿は見られませんでしたが 屋台と子ども神輿の用意が進められていました。
涼しくなる夕方ぐらいから盛り上がるんでしょうね。
地域の大人は 祭りの準備ですでに盛り上がっています。
皆さん動き回りすぎていて 声をかけることはできませんね。
山号は補陀山 宗旨宗派は臨済宗妙見寺派 ご本尊は釈迦如来です。

屋台の準備

子ども手書きの提灯

子ども神輿

山門は開いていますが

寺号の石柱

寺号標

本堂

火防観世音菩薩が有名


こちらはやすらぎ観音

本堂横から

六地蔵

🪷🌺補陀山観音寺御開帳🌺🪷
新作
照見観世音菩薩
開山天巌和尚四百年遠忌祈念
松本明慶作
33年毎御開帳
御本堂でお前立様を拝ませて頂いた時から
鳥肌がたち感動したことが鮮明に思い出され、
今回は33年振りの御開帳で御本尊の
聖観世音菩薩様を拝ませて頂きました。
何と表現したらよいかわからないほど
柔和で美しいお顔立ちで
御本堂へ上げて戴いた時の不思議な感動は
御本尊と更に照見観世音菩薩様の御恩と
感じられる素晴らしい御開帳でした。
照見観世音菩薩様の台座は旧山門を
利用されたとのことでした。🪷📿✨
村全体を包んだ大火から観音堂を守った
御本尊「 防火観世音菩薩 」と仰ぎ信仰
山号 補陀山 (ふださん)
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
開基 行基菩薩
本尊 聖観世音菩薩
札所
播磨西国第二十七番
御詠歌
ほだやまの うみべにみゆる かんのんじ
わたすこぶねも のりのみちかな
文永4年(1267年)の創建当時 南海山法船寺
と呼ばれていた観音寺。
文禄2年(1593年)、姫路城主◦池田輝政公に
仕えた横河重陳(しげのぶ)氏が
京都◦妙心寺の天巌(てんがん)和尚を招いて
再興し、同寺を開山されました。
しかし、天正9年(1581年)と
寛政2年(1790年)の二度、火災に見舞われ
村全体が焼失。焼け残ったのは観音堂のみ。
そのため、御本尊は
「防火観世音菩薩(ひよけかんのんぼさつ)」
と呼ばれ、地元の人たちに信仰されています。
横河重陳墓所
観音寺を再建された横河重陳氏
横河家跡の印象的な赤い壁
境内にある横河重陳墓碑に手を合わせ、
御寺の南にある横河家の邸宅跡へ。
横河家は海を取り仕切る監視役をされていたので
御寺と隣接する壁は海からでも目立つようにと
赤く塗られたそうです。
播磨灘に馴染んだ優しい色に感じました。
桃夏椿
樹齢百年超沙羅の木
📍 兵庫県明石市二見町東二見1643

照見観世音菩薩

桃夏椿




沙羅双樹

6月中旬頃〜の開花でしょうか
またその頃にお参りさせて頂きたく


左屋根瓦上空に水平アーク🌈












照見観世音菩薩

補陀山 観音寺
山号 補陀山(ふださん)
御本尊 聖観世音菩薩
宗派 臨済宗妙心寺派
開基 行基菩薩
創建 文永四(1267)年
札所
播磨西国三十三観音霊場第27番
御詠歌
ふださんや うみべにみゆる かんのんじ
わたすおふねも のりのみちかな
創建当時『南海山法船寺』と呼ばれていた観音寺。
文禄二(1593)年、姫路城主・池田輝政公に仕えた 横河重陳(しげのぶ)が、京都・妙心寺の天巌(てんがん)清長禅師を招いて再興し、同寺を開山しました。
しかし、天正九(1581)年と寛政二(1790)年の二度、火災に見舞われ村全体が焼失。
焼け残ったのは観音堂のみ。そのため、御本尊は「防火観世音菩薩(ひよけ観世音菩薩)」と呼ばれ、地元の人たちに信仰されています。
また、二見町最古の寺と言い伝えられている『観音寺』。
御本尊の観世音菩薩様は行基菩薩様の作と言われています。
樹齢100年を超える補陀山紗羅の木が植えられた境内。中央にそびえる十三重塔の横から御本堂へ上り、天井に描かれた絵を真下から眺めると、金地に描かれた花の天井画は目がくらむほどゴージャスです。
境内南にある横河重陳の墓碑にお参りさせて頂きました。
横河家は、海を取り仕切る監視役もされていたので、隣接する壁は海からでも目立つように赤く塗られたそうです。二見漁港一帯には昔ながらの煉瓦造りの塀が馴染んでいて、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。
次は、紗羅の花の咲く頃またお参りさせて頂きます。
明石市二見町東二見1643
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右後ろに微かに見える屋根が
補陀山 観音寺 御本堂です

恵比須神社(東二見漁業協同組合)
可愛い七福神さまが祀られていました





君貢神社の杜


伝説では神功皇后が三韓征伐のおり、二見に立ち寄られ物資を積んだ際、伊弉冉尊、伊弉諾尊を祀られるこの神社に詣でられたと伝えられています。その後、朝廷に五穀を奉じつづけられたことから、武内宿禰大臣より『君貢大明神』という神名をたまわったという伝承が伝わっており、古代には朝廷との縁が深い関係の土地柄だったようです。

菅公仮り寝の松碑










補陀山 観音寺(かんのんじ)
~村全体大火から御本尊を守られた
「防火観世音菩薩」~
山号 補陀山(ふださん)
御本尊 聖観世音菩薩
宗派 臨済宗 妙心寺派
開基 行基菩薩
創建 文永四(1267)年
宗旨 お釈迦様の正法を受け継がれた禅宗初祖 達磨大師、宗祖臨済禅師、開山無相大師に及ぶ一流の禅を宗旨及び教義としています。
播磨西国三十三観音霊場 第二十七番
御詠歌
ふださんや 海辺にみゆる
かんのんじ
わたすお船も のりの道かな
聖観世音菩薩は秘仏で三十三年に一度ご開帳されます。次回は、2026年とのことです。
創建当時より安座され、二度に渡る二見村の大火災の際も焼失しなかったことより火防観世音菩薩と呼ばれ、信仰されています。
宗風
宗門は僧侶ともに禅の安心を喜ぶ同信であり、開山無双大師の「請うその本を努めよ」のご遺戒と開基花園法皇の「報恩謝徳」の教えを実践する教団であります。
横河重陳の墓碑
(明石市指定文化財)
蓮や藤に牡丹等の花天井画
~観音寺 HPより~
大変お慈悲深い奥様で
御本堂に上げて頂くことができ、
お優しさに溢れた観音さまにお参りでき、
見事な逗子を拝むことができました。
ありがとうございました。
明石市二見町東二見1643
078-942-1480

やすらぎ観音























三界萬霊
🐈⬛🐇🐕













臨済宗妙心寺派 補陀山 観音寺
文永4年(1267)創建
当時は南海山法船寺と称していたとのこと。
文禄2年(1593)10月に横河次太夫重陳公が京都妙心寺より天巌清長禅師を請いて開山とし、現在の補陀山観音寺に改めたようです。
沙羅の咲くお寺として、開花時期にはたくさんの方が花を鑑賞に来られるようでしたが、ちょっと早かったかな?
播磨西国観音霊場の第27番札所ですが、夕方だったためお声はかけずに御朱印はまた今度。

山門

本堂

本堂入り口の天井画

おーっ、後光が❕

やすらぎ観音様

六地蔵を見かけると、どうしても手を合わせたくなります


隠れてるお二人さん、みーつけた❗

もしかしてこれが沙羅?
夏椿?
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