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観音寺ではいただけません
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かんのんじ

観音寺のお参りの記録(2回目)
兵庫県東二見駅

投稿日:2023年04月22日(土)
参拝:2023年4月吉日
補陀山 観音寺


山号  補陀山(ふださん)
御本尊 聖観世音菩薩
宗派  臨済宗妙心寺派
開基  行基菩薩
創建  文永四(1267)年

札所
播磨西国三十三観音霊場第27番

御詠歌
ふださんや うみべにみゆる かんのんじ
わたすおふねも のりのみちかな 


創建当時『南海山法船寺』と呼ばれていた観音寺。
文禄二(1593)年、姫路城主・池田輝政公に仕えた 横河重陳(しげのぶ)が、京都・妙心寺の天巌(てんがん)清長禅師を招いて再興し、同寺を開山しました。
しかし、天正九(1581)年と寛政二(1790)年の二度、火災に見舞われ村全体が焼失。
焼け残ったのは観音堂のみ。そのため、御本尊は「防火観世音菩薩(ひよけ観世音菩薩)」と呼ばれ、地元の人たちに信仰されています。
また、二見町最古の寺と言い伝えられている『観音寺』。
御本尊の観世音菩薩様は行基菩薩様の作と言われています。

樹齢100年を超える補陀山紗羅の木が植えられた境内。中央にそびえる十三重塔の横から御本堂へ上り、天井に描かれた絵を真下から眺めると、金地に描かれた花の天井画は目がくらむほどゴージャスです。
境内南にある横河重陳の墓碑にお参りさせて頂きました。
横河家は、海を取り仕切る監視役もされていたので、隣接する壁は海からでも目立つように赤く塗られたそうです。二見漁港一帯には昔ながらの煉瓦造りの塀が馴染んでいて、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。

次は、紗羅の花の咲く頃またお参りさせて頂きます。

明石市二見町東二見1643


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右後ろに微かに見える屋根が
補陀山 観音寺 御本堂です
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可愛い七福神さまが祀られていました
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伝説では神功皇后が三韓征伐のおり、二見に立ち寄られ物資を積んだ際、伊弉冉尊、伊弉諾尊を祀られるこの神社に詣でられたと伝えられています。その後、朝廷に五穀を奉じつづけられたことから、武内宿禰大臣より『君貢大明神』という神名をたまわったという伝承が伝わっており、古代には朝廷との縁が深い関係の土地柄だったようです。
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播磨西国三十三観音霊場 第二十七番
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