ほたて
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こちらの方面にお住まいの方には有名な 大蔵海岸の近くにあります。
ご祭神は鴨部大神(かもべたいしん)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・八幡大神(はちまんたいしん)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。
大蔵の八幡さんとも呼ばれているようです。
昔の天皇陛下や皇后は その仁徳からなのか 神として祀られることが多いですね。
天王が神格化されている日本の歴史らしいです。
きみーさんという方のブログで紹介されていました。
借稿させていただきます。
推古天皇のころ、朝鮮から侵攻してきた鉄人を見事に討った越智益躬公は、伊予三島大明神を祀る稲爪神社を創建します。そののち、越智益躬公の子供である越智武男公が、父の偉業を称えるために稲爪神社の辰巳の方角に祠を建てました。これが越智神社です。しかし、この神社が意外なところに影響を与えることになります。越智益躬公が迎え撃つ前、鉄人たちの軍勢に敗れて都への道を突破されてしまった者たちの子孫です。「よくぞ防いでくださった」と、この神社の前を通るときには馬や籠から降りて最敬礼。これはまだ良いほうで、なかには先祖が異敵を防ぎきれなかったという気まずさから意図的にこの神社を避けて通ったり、陸路を避けて船で明石を通過する者もいたそうです。さすがにこういう状況を気の毒に感じた当時の明石城主・松平直常公は越智神社の名を穂蓼八幡と改めさせ、場所も少し東へと移させたそうです。1705(宝永2)年のことでした。これ以降、明石を通る諸大名はようやく通常通り馬や籠で通行できるようになりました。
石鳥居
由緒書
拝殿
越智神社と言われていたのが、江戸時代に穂蓼八幡神社に改名されたようです。稲爪神社の境外摂社になっています。ネコが、神様のお守りをしていました。この辺りは、西国街道の大蔵谷宿があったところです。
鳥居です。
由緒書きです。
手水です。
拝殿です。
ネコがお守りしています。
獅子頭です。天覧の獅子とあります。
大蔵谷宿の景観です。
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