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へんしょうじ

遍照寺のお参りの記録(2回目)
兵庫県魚住駅

投稿日:2025年10月01日(水) 20時35分34秒
参拝:2025年9月吉日
こちらの住所は魚住町長坂寺と言います。
長坂寺?どこを見回してもありません。
実はこの長坂寺は廃寺になってしまい 今は遺跡が残っているだけなのですが それでも地名に残るほどのお寺だったのです。
長阪寺は奈良時代に広大な寺領を擁し栄華を極めていましたが 南北朝の戦乱さらに豊臣秀吉の三木城攻め(天正7年=1578)でほとんどが焼失してしまいました。
現在残っているのは遍照寺と延命寺です。
このあたりは古代山陽道の駅 仮称邑美駅家の跡と言われているそうです。
西国街道になってからも旅人が休んだ茶屋跡もあったようです。
ということで地名紹介になりました。

さて 現存している遍照寺にお参りしました。
道には山門はありません。石段を上がった所にあります。
山門の前にあるのは庫裡?と思いますがその並びで本堂もあります。
比較的新しい建物で屋根の装飾が印象的です。
名前なんだっけなぁこの丸いとげとげ。
本堂横には 大日堂と太子堂があります。
二つのお堂ですが 建物としては一つになっています。
堂宇の前は駐車スペースのようです。公園ぐらいの広さの更地があります。
本堂とお堂で手を合わせたあと 藤棚の下で少し休ませていただきました。
これだけ立派な藤棚だと 5月は相当見事に咲いていることでしょう。

ネット情報です。
聖徳太子が26歳の時 百済の阿佐太子が日本に来日され 大和国の皇居にて数日ご清談の後 明石浦魚住の泊より帰国された。
そのとき順風の風を待つために 当山に足を留められた。
聖徳太子は阿佐太子を見送られた後 再びお泊りになられた夜 白髪の老人が忽然と現れ 聖徳太子に「この深林は常に仏が教えを説く霊地です。」と告げて 白い雲に乗って東へ去って行った。
聖徳太子は老人が現れた場所に 納殿と僧坊を建立し 足留山(そくりゅうざん)長坂寺(ちょうはんじ)と名付けました。
天平12年(740)大僧正行基により 28もの堂塔伽藍塔頭寺院を完備した。
遍照寺はその塔頭寺院の1つ。
壮大な寺領をもっていた長坂寺は 加古川の鶴林寺 揖保郡太子町の斑鳩寺と同じく 聖徳太子のゆかりの寺であることから 当山は「魚住の太子さん」と呼ばれています。
平安時代には花山上皇や和泉式部が参詣され 元弘3年(1333)の鎌倉末期に配流先の隠岐から京都へ帰路 後醍醐天皇が立ち寄り鎮護国家を祈願したと伝える。
建武の新制時ごろに兵火にかかり焼失 通義和尚により再建されるが 戦国末期天正7年(1579)織田方羽柴秀吉勢と三木城城主別所長治との戦で再び焼失しました。
貞享2年(1685)の江戸前期に乗蓮社大誉上人が遍照寺の再興に着手 元禄4年(1691)覚了上人により再興され 昭和55年(1980)實誉桂純が本堂等を建て替え 現在の姿となりました。
遍照寺(兵庫県)
堂宇に上がる石段
遍照寺(兵庫県)
明石四国八十八か所霊場です
遍照寺(兵庫県)
山門
遍照寺(兵庫県)
本堂
遍照寺(兵庫県)
拝所の扁額と鐘
遍照寺(兵庫県)
左は大日堂 右は太子堂
遍照寺(兵庫県)
旅大師
遍照寺(兵庫県)
藤棚 5月に来たらきれいでしょうね

すてき

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