いざなみじんじゃ
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伊弉冊神社⛩️(佐奈岐神社⛩️)
祭神〜伊弉冊大神 式内論社(旧県社)
崇神天皇六年九月十日に勧請される
かつての境内は、東西に連なる松林であり、{さなぎの森🌳}と呼ばれ、今でも
佐奈岐神社⛩️と呼ばれているそうです^ ^
江戸期の地誌には、材木町に鎮座する
岩屋神社⛩️の御旅所だった為、両社は大変に深い関係にあったと伝えられています
伊弉冊神社は、過去の戦火と1945年の
明石空襲等による社殿や記録などの焼失があったが、その度に再建され明石の地で今も広く崇敬を集めている様です
【⛩️社伝抜粋】


直書き頂戴しました

境内入口
鳥居がなく、注連柱です。石畳の奥に社殿

手水舎・・この日は暖かく、水が気持ちよかったです^ ^

社殿 (銅板葺の平入入母屋造に向拝のついたものです。狛犬さんは🐶花崗岩造)

境内社 (三宝荒神社⛩️)

三宝荒神社拝殿⛩️

御神木〜【三本松🌲🌲🌲】
この松は二代目のようですが、植えてからまだそう経ってないようで、一代目の消滅の細部は不明だそうです🤔🤔

境内から海が見えた🌊^ ^

兵庫県明石市にある神社です。
伊弉諾神社から歩いて2分ほどの所にあります。
参拝者駐車場もあります。
伊弉諾神社に比べると 境内も広いですし 境内社も多いです。
荒神社は まるで単立かのようで 祠は覆屋の中にあります。
社務所もあり こちらの方が立派とも思えます。
お詣りした時刻が遅く 御朱印は拝受できませんでした。
伊弉諾神社の投稿にも書かせていただいていますが・・・
記紀神話において 伊弉諾尊は神世7代の7代目で伊弉冉尊と共に創造活動を行いますが 黄泉の国で対立して争い絶縁してしまいます。
近くに伊弉諾神社もありますので この絶縁状態を再現しているのだと思います。

鳥居はありませんでした

由緒書

社号の石柱

手水舎

本殿・拝殿

狛犬に注連縄?


二代目 三本松

拝所扁額

境内社 福徳三宝荒神社

覆屋と祠

扁額

本殿(祠)

境内社 不明

境内社 不明

明石漁港あたりをぶらぶらし 岩屋神社さんからの流れでお参りしました。
住宅街の中にありますが 朱塗りの壁が目を引きます。
ご祭神は伊弉冊大神(いざなみおおかみ)です。
相殿には伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)も祀られています。
伊弉冊と伊弉諾は共に祀られていることが多いのですが 伊弉冊神社と片方だけの名称の神社は初めてお参りしました。
境内はとても静かで 落ち着いてお参りできます。
社務所ではとても丁寧に応対いただき 御朱印も拝受できました。
由緒については
社伝によれば 崇神天皇六年九月十日に勧請されたと伝えられています。
宝亀二年(771年)には四町四方(約18.7ha)が赦免地となり 別所氏が三木城主となった際には五十石の社領が寄進され 広大な境内を有していたと伝えられます。
かつての境内は東西に連なる松林だったといい「さなぎの森」と呼ばれていました。
今でも当社は「佐奈岐神社」とも呼ばれています。
一方 江戸時代の地誌『播磨鑑』によれば当社は「岩屋神社」(材木町に鎮座)の御旅所だったといい 両社に深い関係があったことが窺えます。
当社は社名に示す通り「伊弉册大神」を御祭神としており 「岩屋神社」と同様 或いは淡路島から勧請されたのかもしれません。
また 式内社「伊和都比賣神社」および式内社「彌賀多多神社」を当社に比定する説があるものの その根拠ははっきりしません。
当社は嘉吉年間(1441年~1444年)の赤松氏の和坂の戦い 天文年間(1532年~1555年)の放火 天正六年~八年(1578年~1580年)の羽柴秀吉による三木合戦 さらには昭和二十年(1945年)の明石空襲と度重なる焼失を経験しています。
そのため幾度も社殿や記録等が失われたものの その度に再建が行われ 現在もなお明石において広く崇敬を集めています。
とありました。


由緒書

手水

拝殿・本殿



拝殿・本殿

石標

三宝荒神社入り口

福徳三宝荒神社

末社

末社

朱塗りの壁は道沿いにあり目立ちます
授与品
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当社は延喜式神名帳に云う明石郡九座の一つ伊和都比売神社にて人皇十代崇神天皇御宇六年九月十日勧請せられた式内社であり人皇四十九光仁天皇御宇宝亀2年境内地四町四方放免地となり降りて別所氏三木城主たる時崇敬厚く社領五十石を寄進祭典営繕に当たった云われ其後天正年間減地となるも東域に小祠を建て御旅所と名付く(元の祇園さん)西域にも小祠を建て(賀神社)旧境内東西の境界の遺跡とする。この頃の境内地域は東西に連なる松林にて「さなぎの森」と呼ばれた。
嘉吉年間赤松氏の和阪ノ戦天文年中町野入道の放火天文年間羽柴氏三木城攻め等しばしば兵火に罹り社殿、旧記をことごとく焼失すると伝う、明治十二年七月二日県社に列せられる。
昭和二十年六月太平洋戦争の戦災にて社殿社務所一切の建物を焼失、昭和三十七年社殿再建、平成七年一月十七日の大震災で一部被害を受け、三宝荒神社の新改築本社殿の改修工事が行われた。
写真












| 名称 | 伊弉冊神社 |
|---|---|
| 読み方 | いざなみじんじゃ |
| 通称 | 佐奈岐神社、伊弉册神社 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 078-911-3931 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 《合》宇迦御魂大神,金山彦大神,大山祇命,磐長比売命,木花咲耶姫命,《主》伊弉冊尊,《配》素盞嗚尊 |
|---|---|
| 創建時代 | 崇神天皇時代6年 |
| ご由緒 | 当社は延喜式神名帳に云う明石郡九座の一つ伊和都比売神社にて人皇十代崇神天皇御宇六年九月十日勧請せられた式内社であり人皇四十九光仁天皇御宇宝亀2年境内地四町四方放免地となり降りて別所氏三木城主たる時崇敬厚く社領五十石を寄進祭典営繕に当たった云われ其後天正年間減地となるも東域に小祠を建て御旅所と名付く(元の祇園さん)西域にも小祠を建て(賀神社)旧境内東西の境界の遺跡とする。この頃の境内地域は東西に連なる松林にて「さなぎの森」と呼ばれた。
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| 体験 | 御朱印 |
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