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伊弉冊神社ではいただけません
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いざなみじんじゃ

伊弉冊神社のお参りの記録(1回目)
兵庫県西新町駅

投稿日:2023年11月03日(金)
参拝:2023年10月吉日
明石漁港あたりをぶらぶらし 岩屋神社さんからの流れでお参りしました。
住宅街の中にありますが 朱塗りの壁が目を引きます。
ご祭神は伊弉冊大神(いざなみおおかみ)です。
相殿には伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)も祀られています。
伊弉冊と伊弉諾は共に祀られていることが多いのですが 伊弉冊神社と片方だけの名称の神社は初めてお参りしました。
境内はとても静かで 落ち着いてお参りできます。
社務所ではとても丁寧に応対いただき 御朱印も拝受できました。

由緒については
社伝によれば 崇神天皇六年九月十日に勧請されたと伝えられています。
宝亀二年(771年)には四町四方(約18.7ha)が赦免地となり 別所氏が三木城主となった際には五十石の社領が寄進され 広大な境内を有していたと伝えられます。
かつての境内は東西に連なる松林だったといい「さなぎの森」と呼ばれていました。
今でも当社は「佐奈岐神社」とも呼ばれています。
一方 江戸時代の地誌『播磨鑑』によれば当社は「岩屋神社」(材木町に鎮座)の御旅所だったといい 両社に深い関係があったことが窺えます。
当社は社名に示す通り「伊弉册大神」を御祭神としており 「岩屋神社」と同様 或いは淡路島から勧請されたのかもしれません。
また 式内社「伊和都比賣神社」および式内社「彌賀多多神社」を当社に比定する説があるものの その根拠ははっきりしません。
当社は嘉吉年間(1441年~1444年)の赤松氏の和坂の戦い 天文年間(1532年~1555年)の放火 天正六年~八年(1578年~1580年)の羽柴秀吉による三木合戦 さらには昭和二十年(1945年)の明石空襲と度重なる焼失を経験しています。
そのため幾度も社殿や記録等が失われたものの その度に再建が行われ 現在もなお明石において広く崇敬を集めています。
とありました。
伊弉冊神社(兵庫県)
伊弉冊神社(兵庫県)
由緒書
伊弉冊神社(兵庫県)
手水
伊弉冊神社(兵庫県)
拝殿・本殿
伊弉冊神社(兵庫県)
伊弉冊神社(兵庫県)
伊弉冊神社(兵庫県)
拝殿・本殿
伊弉冊神社(兵庫県)
石標
伊弉冊神社(兵庫県)
三宝荒神社入り口
伊弉冊神社(兵庫県)
福徳三宝荒神社
伊弉冊神社(兵庫県)
末社
伊弉冊神社(兵庫県)
末社
伊弉冊神社(兵庫県)
朱塗りの壁は道沿いにあり目立ちます

すてき

御朱印

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