じんしゃくじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
神積寺ではいただけません
広告
神積寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月08日(日)
参拝:2022年12月吉日
天台宗 妙徳山 神積寺
西国薬師霊場 第24番札所
播州薬師霊場 第12番札所
今回は播州薬師霊場巡りでのお参りとなります。
本堂は靴を脱いで中に入ると証明が自動的に点灯しました。
本堂をお参り後、奥の院までお参りしようかと思ったのですが、小雨が降り始めたのと時間的にも午後4時前だったため奥の院は諦め、塔頭寺院の悟真院さんに御朱印をいただきに向かいました。
通称「田原の文殊さん」と呼ばれ、地元の方に大切にされているお寺さんになります。
<沿革>~パンプレットより~
妙徳山神積寺は内供奉慶芳上人が、比叡山第十八代座主慈恵大師に指示を仰ぎ、諸国巡錫の砌、西暦二年三月八日 田原の郷、辻川有井堂にて文殊菩薩のお告げとその守護を得て一条天皇の時に開かれ、一条・三条両帝の勅願処となった。
上人の弟子三条天皇の第七皇子覚照阿闍梨の時代には、三条天皇より、土佐・讃岐の貢殻を頂き、七堂伽藍と五十二印を数える隆盛を見た。
また近衛天皇のお力添えにより播磨六山の一つに数えられた。
阿弥陀種子板碑は、鎌倉中期 後堀川天皇の中宮安喜門院が長く当山に住された由縁により、門院の百ヶ日供養にあたり建立されたもの。
当山は延慶二年(1309)に火災に合い焼失、現在の建物は天正十五年(1587)有馬法師の寄進により再建される。 明治三年まで御朱印地にして毎年、文殊会式には勅使の下向あり。 本尊薬師如来は、藤原時代の代表的尊容が認められ、明治三十四年八月四日付にて国の重要文化財に指定された。
ご詠歌
瑠璃光の慈悲の御念を求めつつ 文殊の御山に梵音絶えじ
西国薬師霊場 第24番札所
播州薬師霊場 第12番札所
今回は播州薬師霊場巡りでのお参りとなります。
本堂は靴を脱いで中に入ると証明が自動的に点灯しました。
本堂をお参り後、奥の院までお参りしようかと思ったのですが、小雨が降り始めたのと時間的にも午後4時前だったため奥の院は諦め、塔頭寺院の悟真院さんに御朱印をいただきに向かいました。
通称「田原の文殊さん」と呼ばれ、地元の方に大切にされているお寺さんになります。
<沿革>~パンプレットより~
妙徳山神積寺は内供奉慶芳上人が、比叡山第十八代座主慈恵大師に指示を仰ぎ、諸国巡錫の砌、西暦二年三月八日 田原の郷、辻川有井堂にて文殊菩薩のお告げとその守護を得て一条天皇の時に開かれ、一条・三条両帝の勅願処となった。
上人の弟子三条天皇の第七皇子覚照阿闍梨の時代には、三条天皇より、土佐・讃岐の貢殻を頂き、七堂伽藍と五十二印を数える隆盛を見た。
また近衛天皇のお力添えにより播磨六山の一つに数えられた。
阿弥陀種子板碑は、鎌倉中期 後堀川天皇の中宮安喜門院が長く当山に住された由縁により、門院の百ヶ日供養にあたり建立されたもの。
当山は延慶二年(1309)に火災に合い焼失、現在の建物は天正十五年(1587)有馬法師の寄進により再建される。 明治三年まで御朱印地にして毎年、文殊会式には勅使の下向あり。 本尊薬師如来は、藤原時代の代表的尊容が認められ、明治三十四年八月四日付にて国の重要文化財に指定された。
ご詠歌
瑠璃光の慈悲の御念を求めつつ 文殊の御山に梵音絶えじ
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。