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はふりたじんじゃ

祝田神社のお参りの記録一覧
兵庫県 東觜崎駅

きどっち
きどっち
2025年05月02日(金) 14時51分38秒
1488投稿

姫路市林田町に鎮座する式内社の祝田神社。
元々参拝予定にはなかったのですが、近くを通った際に「祝田神社」の標識が目に飛び込んできたため、吸い込まれるようにそちらにハンドルを切り急遽あがらせていただきました。
事前の下調べもないままだったのでなんと読めばいいのだろう?と思っていたのですが、祝田と書いて、「はふりた」と読むのですね・・・

真っ赤な鳥居があり、その横に車を数台停めるスペースがあります。
てっきりこの鳥居が一の鳥居だと思っていたのですが、後程調べると二の鳥居だったようで、約600mほど東側に一の鳥居がありました。

夕方に差し掛かる時間だったため、境内にはどなたもいらっしゃらず社務所も無人でした。
思っていたよりも境内は広く、澄んだ空気が流れ、時間の流れがゆったりとしていて心地よい神社でした。

<御祭神>
主祭神 罔象女神(ミツハノメノカミ)
配祀神 高龗神(タカオノカミ)

<御由緒>~兵庫県神社庁HPより~
創立年代不詳ではあるが、社記によると景行天皇の御代(四世紀前半)、日本武尊が熊襲征伐のとき、播磨灘で台風に遭い、当社に祈り浪が静まったとある。また、「林田は祝田の転称」とも記され、延喜式内社である。
はじめ罔象女神(水神)の一神を祀っていたが、堀河天皇の寛治7年(1093)、当地が賀茂別雷神社領の林田庄となったとき、貴船神社の祭神・高龗神を勧請し相殿として祀られ、この社を「貴船社」また「貴船大明神」と呼ぶようになつた。その後、源頼朝が建久3年(1192)、社殿再建し社号も貴船神社とし祝田神社はその奥宮に祀られ、祭神にちなんで神社背後の山を貴船山、谷を美津波女谷と名付けられた。
江戸時代には藩主・建部氏が累代の氏神として社務は藩庁でとり、天保9年(1838)藩主の命により毎年5月に守護札を発行したという。播磨国司・赤松秀房や本居宣長の和歌、公家の詠んだ林田八景絵馬、歴代藩主ゆかりの遺品も多い。
明治16年(1883)、社号を古代に復して祝田神社とし、現社殿は明治23年(1890)に再建されたものである。

祝田神社(兵庫県)

二の鳥居

祝田神社(兵庫県)
祝田神社(兵庫県)

写真には写っていませんが、参道を挟んで一対の神馬像となっています

祝田神社(兵庫県)

注連柱と随神門
「貴船社」となっていますが、貴船神社の御祭神である高龗神が祀られているからでしょうね

祝田神社(兵庫県)

神馬舎も兼ねていました

祝田神社(兵庫県)
祝田神社(兵庫県)

立派な手水

祝田神社(兵庫県)

拝殿

祝田神社(兵庫県)
祝田神社(兵庫県)
祝田神社(兵庫県)

本殿

祝田神社(兵庫県)
祝田神社(兵庫県)
祝田神社(兵庫県)

日本武尊像

祝田神社(兵庫県)

金刀比羅社

祝田神社(兵庫県)

三基の石燈籠

祝田神社(兵庫県)

石燈籠の説明

祝田神社(兵庫県)

末社の鳥居

祝田神社(兵庫県)

稲荷神社・天満宮・松尾神社

祝田神社(兵庫県)

聖神社・三嶋神社・粟嶋神社

祝田神社(兵庫県)

志霊社・祖霊社

祝田神社(兵庫県)
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神祇伯
神祇伯
2022年07月21日(木) 18時39分24秒
1693投稿

播磨国揖保郡の式内論社です。日本武尊さまが熊襲討伐のため西に向かう際、播磨灘で嵐に遭って船が出せなくなります。そしてこの神社に祈願をすると嵐が静まって船が出せるようになったとされています。鎮座地的にはかなり山地寄りにありますが、ここまで海があったということでしょうか?

祝田神社(兵庫県)

《一の鳥居》
見事な朱色の両部鳥居ですね。

祝田神社(兵庫県)

《社号碑》
明治の近代社格制度では県社に列格しています。やっば兵庫県って県社多いなぁ。

祝田神社の歴史

《由緒書き》
地名の林田も元々は祝田の転訛だとされています。そして中世にはこの由緒というか功績から貴船神社と社名が変えられています。

祝田神社(兵庫県)

《修復記念碑》

祝田神社のその他建物

《表参道》
境内の右手には小学校があり、少年野球をやってました。暑いのに元気やなぁ…

祝田神社の山門・神門

《神門》
こっちの扁額は貴船社と書かれてますね。

祝田神社のその他建物

《土俵》
隣が小学校ですから、もしかしたら子供相撲とかもやってるんでしょうか?

祝田神社のその他建物

《神馬像》
千羽鶴が供えられてました。…よく神社に奉納されてることありますけど、千羽鶴の奉納ってどうなんですかね?量が量ですから修行の成果とともに祈念、という感じでしょうか。

祝田神社(兵庫県)

《階段》
写真両端を見ていただきたい。見事な石垣です。

祝田神社の手水舎

《手水舎》
水は貯まってました。

祝田神社のその他建物
祝田神社(兵庫県)

《絵馬堂》
なんか色々物語的に絵馬が描かれてますが、内容はさっぱりです。

祝田神社の本殿・本堂

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
日本武尊さまが立ち往生してる時点で存在が確認されているかなり古い神社であり、この神社が水に関連する神様であることが知られていることが窺えます。おそらく本来は東側にある林田川を司る神様だったのではないかなと推測できます。

祝田神社の末社・摂社

《祖霊社》

祝田神社の鳥居
祝田神社(兵庫県)

《合祀社》
名だたる神々が祀られてました。

祝田神社のその他建物

《石灯籠》
18世紀から19世紀の歴代藩主が一基ずつ奉納したみたいです。代々崇敬が篤かったことがわかります。

祝田神社の末社・摂社

《末社・金刀比羅神社》
船関係だと金毘羅さんは似てますね。しかしここは山の麓です。

祝田神社の末社・摂社

《本殿裏の社》
横の石碑には"祝田社旧殿"と書かれています。兵庫県神社庁によると源頼朝公によって本宮を貴船神社、祝田神社を奧宮として置かれたと書かれてますし、もしかしたらこのお社のことかもしれません。

祝田神社の像

《日本武尊像》
敬礼!!ではなくおそらく海を眺めてる構図なんだと思われます。

祝田神社の本殿・本堂

《本殿裏》
入母屋造です。または権現造でしょうか?

祝田神社のその他建物

《社務所》
御朱印をいただけるという情報だったので尋ねたのですが残念ながらお留守。また来ます👋

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